天武天皇の式占

積恋雪関扉(つもるこい ゆきの せきのと)』という歌舞伎の演目がある。筋立ては荒唐無稽のそのものといっても良いのだけれど、悪役の大友黒主*1は、作中、天を横切る黒雲を見て天下を横領するチャンスが到来したことを知る。

このシーン実は、日本書紀中の天武紀、それも壬申の乱天武天皇御自らが式占で占ったという記述をヒントにしているのではないかという論文がある。

  • 滝川政二郎、“「関の扉」の日ぐりと大友氏の天文遁甲”、芸能4巻5号(昭和37年)

天武紀によると、

将及横河、有黒雲、広十余丈経天。時天皇異之、則挙燭親秉式、占曰、天下両分之祥也、然朕遂得天下歟。

ざっと解釈すると、

天武天皇*2が吉野を脱出して東国へ向かっている途中、横河*3に来た時に、夜中にも関わらず黒雲が十余丈の広さで天を覆っているのが見えた。天皇はこれを奇異に思って、燭台を掲げて自ら式盤をとり占って言った。

「天下が二つに分かれる象である。しかしどうやら私が天下を取るだろう*4。」

黒雲を見て天下を取るチャンスが来たと占う天武天皇、そして天下横領のチャンスが来たという大友黒主が重なるというわけだ。

しかし六壬者としては「親秉式(親しく式を秉(と)りて)」が気になるところだ。調べたところ太陰太陽暦で六月二十四日の夜半のことであったらしい。夜半なので既に二十五日であったと思うが、天武天皇がどちらの日で占ったのかはわからない。ただ月将は勝光(午)なので返吟課が出たであろうことは間違いない。天地返吟、「天下両分之祥」と言って良いだろう。

もっとも天武天皇奇門遁甲を能くした御方なので、遁甲卜占で占ったのかもしれない。その場合は丙子刻の遁甲盤であったろう。局数がわかれば遁甲盤を出すこともできる。不確かなのは承知の上で拆補*5を使ってみる。月将が勝光、節気は大暑になる。拆補では大暑中元で陰一局になり、以下のような遁甲盤が得られる。

奇門遁甲で最も良い盤は、

  • 主に好く
  • 客に好く
  • 自分に好く
  • 向きも好い

を満たすものであるけど、この場合は主と客の比較になる。また実際の戦闘はまだまだ先なので山向主客の判断も必要ない。

天武天皇が以下のような判断をされたどうかは不明だが、近江朝に反旗を翻した御自身は「客」なので時干落宮を見ると驚門とはいえ丙−戊の飛鳥跌穴*6に天冲で潜行向きの九地がある。主である近江朝が日干として乙を見れば生門とはいえ、騰蛇に天芮で癸−丁の騰蛇妖嬌を含んでいる。どちらかと言えば客に有利だろう。

なお、天武天皇が御自ら式占を行った記録については、既に五行学歴史年表・日本篇(1)で取り上げられていた。さすがだ。

またこの天武紀の記録については、夜半にも関わらず黒雲が見えたということで、なんらかの火山活動の結果ではないかという視点からの研究もある。

*1:六歌仙の1人。名前が悪役っぽい。実際の大友黒主こんな感じ

*2:実際にはこの時点では壬申の乱の戦闘が始まっていないので大海人皇子が正しいだろう。

*3:今の名張川のことらしい。

*4:「近江朝から命を狙われたから仕方なく立ったのだ」どころか、端からやる気満々な印象を受ける

*5:二至から繰って行かないといけない超神接気よりも、日干支と実際の節気から局数が出る拆補の方が戦場向きだと思う。

*6:標準的な奇門遁甲の干の剋応では戊と甲は同じ扱いになる。