謎な御方

天武天皇が自ら式占を行うような御方であったとなれば、「能天文遁甲*1」で、しかも当時の新式兵器であった槍の使い手でもあった天武天皇個人に俄然興味がわいてくる。特にどのような教育を受けて育って来られたのかが気になる所だ。

しかしながら天武天皇の幼少時の情報は極めて少ない。まず出生年の情報が日本書紀にすらないのだ*2。ただ天武天皇の養育の任にあたったのが大海宿禰一族であったことだけははっきりしている。それは天武天皇崩御後の殯(もがり)において、最初に誄(しのびごと)を行った大海宿禰蒭蒲(おおあまのすくねあらかま)の誄が、「壬生」についてのものだったからだ。「壬生」つまり養育である。

ところで大海蒭蒲は、鉱山・冶金の技術者だったようで、金山開発のための陸奥に派遣されている。つまり天武天皇の養育の任務にあたったのは、鉱山・冶金の技術者の一族であったということになる。古代において、金属の採掘、精錬、加工にあたるものがマジカルな性格を帯びることは割と普遍的にみられる。そのため大海一族が方術の知識もまた有していた可能性があるけれども、今のところは想像の域を出ない。今後のアカデミックな研究に期待したいところだ。

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ブッダ最後の旅

完全に余談だけれども中村元先生が訳された『ブッダ最後の旅−大パリニッバーナ経』によると、御釈迦さんは旅の途中、鍛冶屋の子チュンダが用意した特別なキノコ料理にあたって命を縮めたらしい。おそらくは老いた御釈迦さんに元気を付けてもらいたいという思いで作った特別料理だったのだろうが、鍛冶屋が絡んでいるので、ただのキノコ料理ではなく、かなり危ない材料を使ったものだったのかもしれない。

*1:天武天皇 上 即位前紀より。

*2:これは異常な事態で、日本書紀において出生年の情報がないのは、天武天皇を除けばは崇峻天皇のみ。