伊勢までロングドライブ
10月初めにtwitterのTLに以下が流れてきた。
「暦と怪異~不安な日々の平安貴族~」を開催中の斎宮博物館に電話をかけたら図録は販売されており、送付も可能とのこと(料金は現金書留にて前払)。早速、おねがいした。 #陰陽道
— takuhiro (kinosy) (@Kino_see) 2012年10月7日
怪異学入門 |
安倍晴明 「占事略决」 詳解 |
暦と怪異 図録 |
で、この特別展示に合わせて講演会が開かれたのだけれども、2回目の『怨霊におびえる平安貴族』の講演には申し込みが間にあった。そこで申し込んだところ席が取れた。ということで昨日の4日に車で伊勢の斎宮歴史博物館まで往復してきた。
講師は大江篤先生で、岩田書院から『怪異学入門』を上梓した東アジア恠異学会の中心メンバーでもある。講義内容は非常に興味深いものだった。まず、日本で最初に神でなく人として祟ったのが早良皇太子*1であることがしめされる。これは神祇官から出た正式な報告書に記載されたものだ。神祇官なので亀卜鹿卜で占っている。早良皇太子以前には、神が祟ることはあっても人が祟ることはなかったそうだ。
ついで祟る人間を怨霊として確認する手段が整備されて行く。その過程で川原寺と法相宗の僧侶が深く関わっていた形跡がしめされる。そしてそれを発展させる形で、天台宗の智証門流による憑祈祷*2が生まれ、怨霊自ら語るようになって行く。このように、人が祟り、祟る人を怨霊と認識する、ということが一般に定着する過程で様々な人々が関わりあい、また200年くらいの時間がかかっているということがしめされ、聞いてて面白くエキサイティングな講義だった。
そういえば『占事略决』においても、『占病祟法第廿七』において祟りの原因に大きく分けて『神』と『鬼』があるとされているが、『鬼』は中国で言う『鬼』であり死霊である。略决ではこの死霊が生まれた原因が幾つも挙げられているが、恨みを呑んで死んだ怨霊という考え方は出てこない。つまり略决が書かれた時には、怨霊による祟りという概念はまだ定着していなかったのだろう。この件について講演の後に大江先生に質問するチャンスを得ることができてラッキーだった。
特別展示の『暦と怪異−不安な日々の平安貴族−』も、陰陽師の祭壇とかが模型で復元されていて興味深かった。図録は勿論購入した。こういう図録は購入できる時に入手しておかないと品切れになるときがある。
以下、余談だけれども、高速道路は路線によってカラーが違うという印象を持った。少なくとも4日(日曜)の伊勢自動車道は、御金持ちがフェラーリとかポルシェとかの高い外車を連ねて走っていたり、バイクのサークルが幾つも走っている道、という印象だった。それにしても帰路の亀山から御在所辺りまではほんとウンザリする渋滞だった。
後、サービスエリアで売ってる松阪牛使用のコロッケだけど、いくら松阪牛のミンチを使ってるからといって、通常サイズのコロッケが300円というのは、ちと高い。