科学と術数

“Science”と“Arts”

以前、『ラーメンハゲ芹沢の公理』から、

科学とはデータから世界の仕組みに至ろうとする情熱そのものです。

と科学(science)に定義を与えたけれども、この『データ』は科学のためのもので、

実験環境によってコントロールされた特異性のないもの

という限定がある。この「特異性のないもの」は「目立たない」と言い換えても良いだろう。
この目立たないデータから世界の仕組みに到ろうとする発想は非常に近代的で、西洋でもちゃんと確認できるのはガリレオの実験以降だろう。ガリレオは玉を傾斜のある溝に転がすことで、玉が転がし始めた高さまで登ってくることを実験的に確認した*1

一方、科学以前の術数の世界は扱うデータが科学とは逆に、特異性のある目立つデータを集積することで世界の仕組みに到ろうとした。ま、人間よほど酔狂でなければ目立つものに目が行くのが自然だろう。自然を理解するには、人間にとって不自然なことをしないといけないというのは皮肉といえば皮肉だ。

ということで、術数の世界に生きていた『陰陽師』が科学者であったという主張は断固として否定する。例えば、

とか、

とか、だ。

しかしながら、術数の世界でも目立たないデータの集積に意義を見出していた分野があるにはある。それが天文の分野だ。天文においては天上世界の不変性の確認と造暦のために目立たないデータの集積が進められていた。そこから生まれたケプラーの3法則が万有引力で束縛された太陽系の構造解明につながり、そこから更に土星の摂動の観測へと進み、その摂動から土星に影響を与える未発見の惑星の存在の推定と、推定に基づく観測から天王星の発見へとつながる。

術数から最初に分離した科学の分野が天文学であったことには、それなりの理由があったわけだ。

*1:力学的エネルギーの保存