中央にいるのは人か神か

偶数の方が安定する

陰陽五行というけれど』のエントリに、わっとさん(id:watto)から、こんなブックマーク・コメントをもらった。

陰陽五行→十干、十二支、六曜など、東洋(中国)は偶数志向があるような。西洋は明らかに奇数志向ですが。

そうでもないと思う。C.G. Jungは錬金術師マリアの公理として以下をあげてるいる。

一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり。

西洋では三位一体とかで3を基調とすることか多いけれども、マリアの公理では4から全てが生まれるとされている。C.G. Jungの『心理学と錬金術Ⅰ・Ⅱ*1』では4が全てを生み出す安定した数だということが繰り返されている。私見では偶奇について西洋と中国では、そんなに好みの差は無さそうに思う。一番異なっているのは中央の扱いだろう。

五行説では四方の四行に中央の土行を加えて五行としている。西洋では地水火風の四大だ。五行説の始まりはともかく今の五行の生成順序は明らかに四大の影響を受けている。

  1. 混沌から凝り固まった陰の気が分離して北に移動して水行となる。
  2. 残った部分から陽の気が分離して南に移動して火行となる。
  3. さらに残った陽の気が東に移動して風となって飛び散って木行に変化する。
  4. さらに残った陰の気が西に移動して金行に変化する。
  5. 四方から四行の余った気が中央に集まって土行となる。

木行は風を経て生まれている。どう考えても四大の影響を受けているだろう。ただ4という四方に中央を加えることで5となると不安定化するので五行は四大と異なって相生相剋が発生してくる。中国人は中央に神ではなく人もしくは王を置いた。四方を細分化して生まれた八方向に中央を加えて『九州』とする。中国ではかって世界は九州から構成されているとした。

一方、西洋では中央は神が占める位置だった。例をあげよう。中心が決まると3次元空間では前後左右上下の6方向が決まる。西洋では6は人の数で、それに中央を加えた7は神の数となる。黄道十二宮がある、これは大地を囲んでいる黄道を12区分したものだ。これに中央を加えて13とする。中央は神の位置なので人間界で13が発生すると人間の手におえなくなる。イエスに12番目の弟子ユダができてイエスと合わせて13人となった時、ユダはイエスを裏切る道を選ぶことになった。

ということで、中国では不安定化を受け入れても中央に人を置いたし、西洋では中央は神が占めるべき位置として人が触れてはならないとすることで安定性を守ったように思う。