孟仲季

十二支の三区分

黄道十二宮が“Cardinal modality”、“Fixed modality”、“Mutable modality”に三区分(The three modalities)されることは、それなりに知られていると思う。先人達は“Cardinal modality”を活動宮、“Fixed modality”を不動宮、“Mutable modality”を柔軟宮*1と訳している。各季節の最初のサインが活動宮、2番目が不動宮、最後の3番目が柔軟宮ということになる。月将系の十二支はサインと1対1の関係があるので、一緒にして表にするとこんな感じだ。

活動不動柔軟
♈(戌) ♉(酉) ♊(申)
♋(未) ♌(午) ♍(巳)
♎(辰) ♏(卯) ♐(寅)
♑(丑) ♒(子) ♓(亥)

そっくり同じような3区分が月建系の十二支にもある。季節の最初に当たる十二支を季節の長男として『孟』、2番目を次男として『仲』、最後の3番目を末っ子として『季』に区分する。もっとも月建系の十二支は気温ではなく、季節を動かす力である太陽高度に着目しているので、西洋占星術とは1ヶ月半くらいずれてはいる*2

孟が長男なので、三国志曹操の字である孟徳から曹操は長男だったろうし、孔子(孔丘)の字の仲尼から孔子が次男だったろうことが判る。季が末っ子なのは日本でも同じで、季には“スエ”の名乗りがある。有名所では楠正成の末の弟に楠正季(クスノキ-マサスエ)がいる*3

閑話休題、孟仲季にせよ“The three modalities”にせよ、季節の最初は季節が生まれたばかりで変化が大きく、最後は次の季節に向けての変化を内包しているというのは共通している。そこから十二支では孟仲季は生旺墓を兼ねている。季節の五行は孟で生まれて(長生)、仲で極大を迎え(帝旺)、季で墓に入る(墓)ということになる。いわゆる十二運は生旺墓の間をつなぐ様に作られたのだろう。

なので夏の五行である火行は、寅で生、午で旺、戌で墓となる。これは黄道十二宮の四大でも同様になっている。それぞれ表にしてみる。

活動不動柔軟

十二支に慣れ親しんでいる者としては、黄道十二宮の風と水って入れ替わってない?という疑問はあるけど、まぁ仕方がない。

十二支の孟は変化が激しい、それを更に冲してもっと変化を大きくするというのが、重要な神煞の『駅馬』だ。亥-卯-未の3支とも孟支である亥を冲する巳が駅馬となる。この原理から駅馬は寅巳申亥の四孟にしかつかない。そこで四孟には四馬の別名がある。また丑辰未戌の四墓の十二支は、本来の五行である土行に加えて季節の五行と生旺墓の三合会局の局の五行が入っている。五行の中の三行を含むので墓には墓庫の別名がある。そのため丑辰未戌の四墓は四庫ともよばれる。

*1:変動宮という訳もあったように記憶しているけどどうだろう?

*2:もっともこれは、冬至春分の中間を立春としたことの結果で、狙ってそうしたということではないだろう。

*3:楠正成は“クスノキ-マサシゲ”、その息子の正行は“マサツラ”と読むというのは老害がマウントかましてくる時に使ってくることがあるので覚えておいて損は無い。