三魂七魄

魂魄この世にとどまりて

昔の怪談で怨霊の恨み言の定番の一つに「魂魄この世にとどまりて……」がある。中国人は人間のタマシイは、

  • 天を起源とする陽の部分である『魂』が3割
  • 地を起源とする陰の部分である『魄』が7割

で構成されているとした*1。人間が死ぬと魂魄の結合が解けて魂は遺骸から抜け出して天に帰り、魄は遺骸にそのままとどまって遺骸とともに地に帰る。風水*2は、この魄を福地に置くことで遺骸に感応する子孫に吉をもたらそうとするものだ。魄は地に帰るべきものなので、私の風水の師匠の陳俊龍先生は海への散骨はするべきではないと言っていた*3。なので私は樹木葬にしてもらうつもりだ。

では遺骸から抜け出した魂がどうなるかというと『雲』になって漂うことになる。徳島の御師匠さんからは「雲も魂も云があるでしょう」と言われた。そういえば私が学んだ妙派の風水では陽生気と陰生気がある。陰生気は大地を伝わり、陽生気は風に乗って伝わる。多分、陰生気は魄に陽生気は魂に影響を与えるのだろう。

ところで魂も雲も漢字の成り立ちとしては形声になる。『魂』は『鬼』が意符で霊、特に死霊に関わることを表しているし、『雲』は『雨』を意符として天候に関わることを表している。『魂』と『雲』で共通する声符として『云』が使われているのだから『云』自体にも何か意味があるという考え方を『右文説』という*4。この『魂』と『雲』について言うなら『云』には思念といった意味が取れるのかもしれない。もっとも『右文説』には用心が必要で、声符を共通する多くの漢字を集めて分析してみないと頓珍漢なことになる。例えば、

王安石「波とは水の皮である。」
蘇東坡「では滑は水の骨ですか?」

という故事が伝えられている。なので「『云』には思念といった意味が取れるのかもしれない」は、かもしれないレベルの話だ。

*1:古代エジプトはもっと多かったみたいだ→古代エジプト人の魂-Wikipedia

*2:陰宅風水が風水の始まりだ。

*3:カラオケ帰りの電車の中で教わった。

*4:右文説-Wikipedia