恵贈本がきた

私の六壬を受け継いでくれた、今の所たった一人の弟子である富永祥玲さんが、畏友大石真行さんの監修の許で四柱推命の本を出した。本日、発売だ。

はじめてでもよくわかる!四柱推命
はじめてでもよくわかる!
四柱推命

富永さんは他の先生から紫微斗数四柱推命六壬神課等を習っていた*1のだけれども、私の六壬が当たるということで、名古屋からわざわざ東京に通っていたという勉強熱心な人だ。私が伝える技術をスポンジが水を吸い込むように吸収してくれた。私の六壬の講義は初等科しかなくて、初等科を修了したら一人前ということになっている。つまり私の伝える六壬の技術を充分に習得して『守・破・離』の守は修了した。後は自分で術を練りながら破や離の段階を迎える時が来たということだ*2

富永さんには修了証明代わりの短歌*3と、「初等科を修了したということは、術の上では私と同格というだ。今後は先生と生徒ではなくて共に術の高みを目指す術友だ。」という言葉を贈った。

さて、『はじめてでもよくわかる!四柱推命』だけれども、監修者の大石真行さんが後書きで語っているように、通変の象が十干と絡めてスッキリとまとまっている。これは富永さんのセンスの善さが現れているのだろう。通変の象をもう一度考える善い切っ掛けになった。

イントロに当たる『はじめに』の章で、富永さんの問題意識であった、

人間は必ず身強か身弱のどちらかに分類され、どちらにも属さない人や両方に同時に属する人は存在しません。
そして身強と身弱では、その後の吉凶善悪の判断が全く正反対となるのです。
この最も大事な最初の2分類からして、先生によっては私の生年月日時を身強といったり、身弱といったり、答えがさまざまで、どちらが正しいかすらもわからず、また鑑定内容としておっしゃられることも過去には触れられず、あなたは怒らせると怖い、我が強くて頑固だ、などの性格的なことをいわれることが多かったため、当たっているのか当たっていないのかわからず、どうにも腑に落ちない日々が続きました。

という思いの中での大石さんとの出会いが語られている。実はこれには前段があって、富永さんが初めて腑に落ちる所の多い四柱推命の鑑定と出会った時の話を私にしてくれたことがある。話の内容から、その占い師は富永さんがそれまで習っていた四柱推命による身強身弱の判定とは逆の判断に基づく命式の読解をしていることはすぐに判った。

私は物理の実験屋として、理論と現実が異なっていたら理論が間違っているという判断を当然のようにする*4。それで、「これまでの四柱推命を捨ててしまった方が善い。その占い師の身強身弱の判断は私の判断基準に近い。ただ私は未だに透派子平からの影響を昇華しきれてないので、もし四柱推命をちゃんと習うのなら大石真行さんが善いと思う。」といったことを富永さんに伝えた。

そして富永さんは大石さんと出会い、『はじめてでもよくわかる!四柱推命』が世に出ることになったわけだ。出藍の誉れとはいうけれど、こういう弟子を持つことができたのは師匠として幸せだ。

*1:『はじめてでもよくわかる!四柱推命』の著者のプロフィールにちゃんと私の名前が出てくる。

*2:最近の占例を見せてもらったことがあるけど、守がしっかりできていたので、順調に破・離を迎えているようだ。

*3:隠し言葉が入れてあるので、本人証明も兼ねている。

*4:年柱月柱に空亡があるのは初代運だなんて説は二世政治家の出生データから否定されているのだから犬にでも喰わせておけばよいのだ。師匠が従財格だと言ったところで、財運に凶事が続くなら従財格ではないのだよ。それを他人に呪われているからだとか言ってるようでは救いが無いよな。