陰陽寮の憂鬱

平安時代の陰陽道と陰陽師--九世紀から十一世紀にかけての陰陽師と「陰陽師道成立論」について』を読んだ。

基本的には「9-11世紀の陰陽道って簡単に捉えられるものではないし、その成立時期なんて断言できないよね」って論文だと理解したのだけれども、陰陽寮陰陽師にとってこの時代は内外に問題を抱えた大変な時期であったようだ*1。外部には、

といった対抗勢力が存在し、内部的には、

  • 遣唐使の廃止によって大陸の最新知識から遠ざかったことによる、技術的な劣化
  • 賀茂氏安倍氏間の主導権争い

といった問題を抱えていたわけだ。しかもかなりの激務であったらしいことが『役に立たないムダ知識、奈良時代の陰陽師の組織と労働環境』でしめされている。

こうした中で陰陽師達は、上級貴族に向けて射覆の腕前を披露するなど、陰陽師の地位確保に向けて努力を続けていたのだそうだ。マンガとかとは全然違うよね。

なお日本の官僚組織は平安の昔から、事務官による組織の支配と並行して、出世できないかわりに技能が絡むと技官は事務官からの掣肘を受けないという二重構造になっていた。しかし陰陽寮での技能への要求水準は高く、上臈と呼ばれるような技官のトップクラスは次第に事務官の手に負えなくなっていったようだ。その結果、技官を出してきた家から事務官も出すようになったという印象がある。

*1:論文著者の木下さんのtweetを読んで追記した。[2012/09/08]