太陰太陽暦が持つ強い地域性

太陰太陽暦が強い地域性を持っていることについては、この、はてな日記でも何度か触れてきたけれども、1894年の年末から1985年の年頭に面白い例があった。

時刻(日本標準時 節気、朔
1984/11/23 07:57
1984/12/22 01:23 冬至
1984/12/22 20:47

1984年の冬至は12月22日01:23だけれども、それからほぼ19時間後の20:47に朔となる。どちらも日本標準時では12月22日の間の出来事なので、日本では12月22日が太陰太陽暦の十一月一日となる。これは日本と同じくUT+9のタイムゾーンではは12月22日が太陰太陽暦の十一月一日となる。

ところが、UT+7のタイムゾーンでは冬至が前日の21日23:23、朔が22日18:47ということになるので、22日は十二月一日ということになり、冬至は11月23日からの朔望月に含まれることになる。

ということでたかだか2時間の時差の違いで暦が全く異なることになる。日本の中でも、例えば波照間島知床半島の突先では1時間26分くらいの時差がある。それを考えると場所毎に厳密に暦を作成した時、日本の中でも異なる暦ができてしまう可能性がある。