占いをするということ

占いは大きく2つの公理の基に成立していると考えて良いだろう。1つは、

  • 意味のない偶然は存在しない。

易者が竹ヒゴみたいなものをジャラジャラやっている*1、とかタロウカード*2を1枚ひいてみる、これらは現象としては乱数を発生させていることに等しい。つまり偶然だ。更に言えば、あなたという他人が私のところに占いを依頼しに来た、これだって偶然だ。こういった偶然、その全てには意味がある*3、なければ占いなんて成立しない*4

もう1つは、

  • 類似するものは運勢もまた類似する。

手相・人相ではこの公理が生な形で出てくるけれども、生年月日時の干支*5の並びが似ているとか、生まれた時の星の配置が似ているなんかも“類似”のうちだ。畏友、大石真行の持ちネタの1つに『タネ銭』がある。これは紙幣の番号に自分の生年月日時がなるべく含まれているものを財布に入れておくという、ちょっとした開運法だ。なんでもその御札が仲間の札を呼んで財布に集めてくれるそうだ。これもまた“類似”を利用している。

この2つの公理を背景として、占いでは『象徴』を算出し、その『象徴』を現実と対応つけて行く。この『象徴』の算出アルゴリズム毎に占いがある。易、特に周易では筮竹を捌いて得られる乱数*6の並びそのものが象徴だし、タロウカードをひいたら、引いたカードが象徴になる。手相では掌紋や掌の肉付き色艶が象徴になる。四柱推命ではこれもまた象徴である干支の並びから、さらに通変といった象徴を計算し付加する。四柱推命には干支だけで8文字、つまり8個の象徴があり、運命を読むときの軸になる象徴*7を見出すことが四柱推命の最大の課題になっている。

この辺りの何かのトリガから象徴を算出する部分はアルゴリズム化されていて、広い意味で計算によって何かを出す部分では、科学と占いに大した差はない。科学と占いで最も異なっているのは、科学は具体的な数量を算出してくれるけれども、占いでは『象徴』が算出される、という部分だ。

『象徴』のやっかいなところは、『象徴』を言語で定義できないところだ。例えば、六壬神課の『天乙貴人』という象徴は、皇族・貴族、美術品等をひっくるめたものだが、何か具体例をあげた時に天乙貴人という象徴に含まれるかどうか判別できるけれども、天乙貴人とは何かを言語で書きあげることはできない。もし出来たとしたら、それ自体が『天乙貴人』の具体例の1つになってしまう。

なので、『象徴』を事物、依頼された占いに係わっている具体的な事物と対応付ける作業が必須になる。この部分が占い師の技量で、占いが「サイエンスではなくアート」たる所以だ。武術が“Martial Arts”であるように占いは“Fortunetelling Arts”である。実用的なアートであり、武術の達人の動きが美しいように、優れた占いもまた美しい。

参考:占いの当り外れ(その2:人間というフィルタの必要性)

そして占い師にとって最後に残るのが『象徴』とそれが指す具体的な事物に吉凶をつけるという作業だ。最終的に避凶趨吉が依頼者の求めるもの*8である以上、それは避けようがない。占った吉凶と現実が出した答えがハッキリ出るのが勝負占*9で、勝負の勝ち負けを占うことは、吉凶の断を下す練習になる。この日記でも2回程、六壬によるちょっと広い意味ではあるけど勝負占を披露したことがある。

この吉凶を付ける作業は一番慎重さが必要になる。安倍晴明公が『占事略决』で、

夫占事之趣、応窮精徴、失之毫毛実差千里。
(大意)占いをするということは、どこまで詳しく読み解いたとしてもそれで完全ということはなく、毛一筋の間違いが現実には千里の差となってしまいます。

と語っているのは、この吉凶付けの部分だろう。吉凶を間違えれば真逆の対応策を依頼人に伝えてしまうからだ。

ということで占うって、真面目にやると結構心を削るんだよね。

*1:筮竹を捌く、というのが正しい表現。

*2:“tarot”はフランス語から来たものなので英語の発音でも最後の“t”を発音しないのが正しい。

*3:人間の脳は意味を探さずにはいられないようにできてるらしい。地下猫さんの『人間とチンプを分かつのは何か?』のエントリを参照のこと。

*4:もしあなたが決定論者なら、偶然そのものが存在しない。

*5:“エト”じゃないよ、“カンシ”だ。

*6:サイコロでも良いのだけどね。

*7:いわゆる用神。

*8:そうでない場合もある。依頼の内容が実は上手く行くと占ってくれ、ということはままある。

*9:勝負占に使えないような占いには占いとして意味はないだろう。そうは思わんかね?id:abekazukiクン。