時間分割、空間分割、それぞれの起源

中国では長く1年を時間的に等分割してきた。つまり恒気法に基づく二十四節季が少なくとも明朝までは使用されてきた。これを空間的に等分割する定気法に切り替えたことで、様々な問題が発生し、重要な問題のいくつかは未だに解決されていない。

一番、大きいのは太陰太陽暦の問題で、2033年には暦を作成できなかったりする。そして四柱推命においても、時間的に長くなった午月に己の蔵干が押し込まれていて、非常に気持ち悪い状態になっていたりする*1

西洋占星術は、西洋天文学の基礎を作ったものなので、太陽の黄経を等分割するという、空間的な等分割が最初から採用されていたわけだけど、西洋は空間分割と中国は時間分割と別れてしまったのは何故なのだろう?と考えていて少し閃いた。

鮑先生の『飛星紫微斗数闡秘』の扉裏は、中国の星図が描かれているのだけど、この星図は赤道座標に基づいて描かれたものだ。どうも中国の古い星図は全て赤道座標に基づいているらしい。一方、西洋の星図は、ほとんどが黄道座標に基づいている。黄道座標に基づいた星図を見ていれば、1年は当然のように空間分割されるだろう。一方、赤道座標に基づけば、恒星時を意識するだろうから、時間的な等分割に行きつくのではないだろうか。

*1:どうやら大石眞行さんは、この問題について自分なりの解答を出したらしい。大石眞行の玄学ライフ−本日は冬至なり参照のこと