この御時世にこのエントリか

まあここ数日、椎羅さんの「紫微斗数入門」をめぐって原宿行ったりとか色々あったわけなんだけど、やっと合意したと思ったらどうも中島多加仁さんの御弟子さんたちは、今回の合意に不満なんですかね。中島さんの詫び状に、私と椎羅さんが「不問に付した」とかいうまるで中島さんの所業に対して一切の責任を求めなかったのごときコメントつける御弟子さんがいれば、「紫微斗数鑑定は機械では足りない」みたいなタイトルのエントリを昨日の今日であげちゃう御弟子さんがいたりもするわけだ。

私の作った自動の紫微斗数Google検索のトップかその近辺にくるわけだし、椎羅さんの「紫微斗数入門」から文言起こしていることは知ってる人は知ってるし、一昨日くらいからその旨、明記するようにもした*1わけだ。そういう状況下で、あのタイトルのエントリをあげることがどういう影響を与えるかなんて、先天的に空気読めない私でもちゃんと学習してるんだけどなぁ。

それとついでにいっておくと、私が自動占いやっているのは昔、Office HOKUTOの「占いについて私の思うこと」ってコラムの占いの当り外れ(その2:人間というフィルタの必要性)というエントリに書いた通りの理由だ。キモの部分を再録しておく。

そして、これらから派生する象意もまた食神の象意となります。これらの多様な象意からどのような場合にどの象意をとるかという規則はまだ見つかっていません。(私は多分見つからないと考えています。)これらの多様な象意から適切なものを選ぶためには今のところどうしても人間というフィルターを通す必要があるわけです。そして人間が介在するが故に占いはARTなのです。

そして適切な象意を人間というフィルターがとらえれば当たる占いとなるし、不適切な象意をとらえると外すことになるわけです。

ところでこの人間というフィルターは、占い師とクライアントと2重になっています。そのために、どちらかのフィルターが適切でないとトンチンカンな占いをしてしまうことになります。自動占いは最終的な判断をクライアント側にゆだねることで、占い師側のフィルターを常に一定の水準に保つことができます。つまり自動占いは占いの品質を一定に保った占いを提供することができるわけです。もっとも受け手であるクライアントにとってはすごく当たることもあればまるっきり外すこともあるでしょうが、幸いなことに椎羅さんの良質なドキュメントを得てアンケートではかなり好評を頂いてます。

できれば、キモだけでなく全体を読んでもらえると嬉しい。

*1:これについては私も少し反省している。ちゃんと出典を明記して運営するべきだった。