多分、私の心は穢れているんだろう

実は「翼を下さい」という歌はそんなに好きな歌ではない。いや、好いメロディだとは思うよ。ただサビの部分の歌詞、

この大空に翼をひろげ 飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
行きたい

これが、ものすごく引っかかる。なんというか空を飛ぶことができたら、全て無問題って感じなんだけど、そんなこたぁネエだろと反射的に頭の中で呟いてしまうわけだ。飛ぶことができたら、飛ぶ者につきまとう悲しみや不自由さを抱え込まなきゃいけなくなるという確信が私にはある。そういう点では、この世界は悲しみで満ちているという御釈迦さんの確信は正しいと思う。

多分、こういったことを考えてしまう理由の一つには『秘伝』という言葉への幻滅もあるのだろうと考えている。術数の世界には無数の秘伝があって、「これさえ知れば百発百中」みたいなことをうたっているものも多いけど、基本的にはセールストークだと思って間違いない。私見では秘伝は以下の2種類に分けられる。

  • 販売するために作成された秘伝
  • 術理の原則から外れた部分への対処方法

ということで、有りもしない百発百中の秘伝を探してウロウロするくらいなら、基本をきっちり身に付けることだ。というか基本が身に付いているなら、術理の原則から外れた部分を見つけることが自分でできるはずだし、そうなれば現実との突合せの中から自分なりの秘伝が出てくるのだから。

まその段階になれば、販売するために作成された秘伝に騙されることもなくなるしね。そういえば鎗田先生から「奥儀の一手は、だいたい最初に習うのがそれだ。」と教わったことがある。