当りに不思議の当りあり。外れに不思議の外れなし

この見出しは言うまでもなく改変コピペで、オリジナルは、

勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし

この言葉を初めて知ったのは、鎗田先生の武術試論での「術は「型」をおろそかにするな」であったかと記憶している。世間では野球の野村監督が好くいうので有名らしいが、私なりの理解をいうと、

  • 負けたときには必ず理由がある。
  • どうして勝てたかわからないけど勝つことがある。

だ。まあ読んだ通りだけど占いの話に置き換えると、占って術理に則っているとはいえ何気なく口にした一言が依頼人の心を強く打って、結果信頼してもらえることはままある。まあ、ここで俺の占いは当たるんだとか思ったら、その段階で進歩は無くて逆に術の退化が起こるくらいに思っておいた方が良いだろう。これは実力とかではなく術が気紛れに助けてくれただけなのだから。

武術でも占術でも自分が術を選ぶのではなく、術に選ばれているだけなのだ、というのは鎗田先生がエッセイの53で述べられている「道が決める」の通りだと思う。自分を選んでくれた術に真摯に向き合って、外したときは外した理由を考え自分の型を修正することを続けていけば、時々術が助けてくれるというわけだ。そういう意味でも一生修行なのだろう。

で、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」を最初に言ったのは誰なのか調べてぶっ飛んだ。この言葉は、松浦静山公が著書の「剣談」*1で語った言葉だったのだ。松浦静山公というと「甲子夜話」の著者で文人くらいに思っていたのだが、Wikipediaで「松浦静山」をひくと、静山公の諱である「清」の項目に飛ばされるわけだけど、静山公は平戸藩の財政を立て直し、教育改革を行った名君であり、剣をとれば大名ながら心形刀流の達人で、どうも蘭学にも興味があったらしいという、当時としては万能の御方だった。しかも生物としての人間としても優秀で82歳という長命を授かり17男16女の子女という実績を残している。術とは何かを剣術を通して突き詰められた静山公だが、術の基本ができてられるわけで、占術をされたらものすごく当たったような気がする。

*1:「常静子剣談」ともいう。