鎗田先生の境地

鎗田先生の日記に「無我 と 無心」と題したエントリがあがっていた。心を撃たれたので紹介する。

武術では、無我とか無心とかを 「勝とう勝とうと思わないこと」 と説明する。 言い換えれば 「人事を尽くして天命を待つ」 に等しい。

この境地から、

勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし

が出てくる。

そして、この境地に立った人だけが以下を言う資格があるのだろう。

・ 如何に正義の道とはいえど 身に降る火の粉は 払わにゃならぬ (柔道一代)
・ 人は力で倒せるけれど 心は情け力じゃ取れぬ (柔道一代)
・ 人に勝つより自分に勝てと 言われた言葉が胸に染む (姿 三四郎
・ 勝つと思うな 思えば負けよ (柔)

ネットで長く暮らしていると、人ではない言葉だということが良くある。しかし結局のところ、語る内容に釣り合わない薄っぺらい人間の言うことなど誰も耳を貸さないのだ。そして、

私個人はこの武術の 「不思議の勝ち」 を信じるところがあるために 開運占術 を積極的におさめようとは思わない。
武術では技を知っていても根性や度胸がなければ、イザと言うときにその技を使えないで終わってしまうから。技だけに頼ってその根本を磨かない限り、技は技にならないのだ。

私もこの境地に立てるようになりたいものだ。