元亨利貞

周易』の卦辞には『元亨利貞』が頻出しているわけだけど、『貞』が「占って問う」ことを意味している文字なので、『利貞』の部分は「占って利がある」と解するべきだろう。『元亨』の部分について「『周易』の儒教経典化研究−出土資料『周易』を中心に−」の考察によれば、『元亨』の意味は「(神々が)大いに供物を受ける」と解すべきとしている。つまり『元亨利貞』で「(神々が)大いに供物を受けてうまくいくでしょう」ということになる。つまり願掛けする神々への充分な供物が暗黙の了解としてあったはずだ。

基本的に遠い過去においては、願いがあってそれが叶うかどうかは、供物の質と量で決まったのだろう*1。従って占って「神が供物を受ける」と出るまでは、供物の質と量を上げて行くことになったのだと思う。これは同じ願いについての占いであっても、再占ではなく六壬の次籌のようなものだ。このあたりについて「昔は同じことを何度も占った」と主張する人とコメントのやりとりをしたことがある。私は「そんなはずはないだろう。蒙の卦辞では再三同じこと占うのを戒めている。」と言ったのだが、結局物別れに終わった。多分、次籌と再占が御互いにちゃんと区別できていれば、もう少し実りのあるやり取りができたんじゃないかと思う。

しかし商(殷)の時代の供物といえば、牛、羊、羌といった人間を含む文字通りの犠牲であって、そう簡単には増やすことができないような代物だったわけで、占って『亨』にならないと貞人を含めてみんな困ったんじゃないだろうか。まあ現代の占いでは、神さんが賄賂を受けてくれるかどうかを気にして占うことはないだろうから、『元亨利貞』の字句にはそんなに意味はないのだろう。

*1:そして今も多くの局面ではそうなのだろう。