東京大学文学部図書室

以前、『東京大学行ってきた』のエントリをあげたのが2009年の4月のことだから、来年になると10年前ということになる。歳月人を待たず、とはよく言ったものだ。

東京大学といっても行ったのは文学部の図書室で、御目当ては元勇準博士の学位論文「『周易』の儒教経典化研究−出土資料『周易』を中心に−」だった。この論文は出土物の考古学的な分析から、易の始原の姿を追求したものだ。論文では以下のように結論付けている。

儒家は『周易』を経典として採用することによって、『周易』が持っている呪術性・宗教性を自らのものにすることができた。それによって、儒家は道徳性の上に呪術性・宗教性を兼ね備える聖人像を提示することができた。

そして易の始原の姿として、

  • 爻辞の六や九は、陰陽を数字でしめしたものではなく、元々から六や九であった。それが後に陰陽と解されるようになった。
    • このことは『周易』が、遠い過去からの卜辞、爻辞の集積に上に成立した卜筮の書であることを教えてくれる。
  • 周易周易となる以前の形態として、商・周において一から十の数字を使用した数字卦が存在した可能性があり、使用されている数字に種類が減って行き、最終的に九と六に収斂したのではないか。
    • この考察は小成八卦から大成六十四卦が作られたという説の否定につながるだろう。論文では、大成六十四卦は元々から六十四卦であり、小成八卦は六十四卦へのインデックスとして使用されるようになったのであろうとしている。
    • 小成八卦を直接解説している彖伝・象伝よりも、六十四卦についての『易伝』である「繋辞伝」の方が古いということになる。
  • 周易において卦名・卦辞が定まったのは、爻辞が定まった後のことである。

といった事柄が、考古学的な出土物の分析から導き出されている。

孔子が『十翼』を書いたというのは、単なる伝説ということだし、伏羲も出番はない。六十四卦から八卦が作りだされたのであるから、八卦を重ねて大成卦を作ったという文王の逸話も単純に伝説だ。