元亨利貞

久世明希知さんが『元亨利貞』というエントリで、

ぼく個人は、
元亨利貞 というのは、
「四時、宇宙の、息むことのない変化・循環」
であると、ざっくり捉えております。

と書いていたので、以下の様なブックマーク・コメントを付けた。

そうしてところ、久世さんから幾つかの疑義が提せられたので、それらにもブックマーク・コメントを付けた。そうしたら、幾つかの疑義ないし反問が出された。ブックマーク・コメントでは間に合わなくなったので、ここでまとめて返答しておくことにする。

時間順序に従って『再・元亨利貞』のエントリから。

たとえば、
乾為天でいいですので、
ツイート主様のいう、
「祖霊が供物を喜んで受け取る。
占ったことには利がある」
という新しい卦辞解釈に適った、
‘原義’ による爻辞解釈を
して頂けるとありがたいですが。

ですが、乾の卦辞『乾、元亨利貞』を、「乾、この卦を得た場合は、祖霊は供物を大いに受取り、占ったことについては利がある。」という解釈が自然だと思います。三浦國雄先生は、「祖霊は供物を大いに受取り」から「万事順調である。」という解釈を展開されています。

こういった解釈で何か問題があるのでしょうか?

沢火革の五爻に、
未占有孚
とあるのですが、
ここは、なぜ、
未貞有孚
ではないのでしょうか。

様々な理由が考えられるでしょうが、私見としてこの『占』は筮ではなく『卜』つまり亀卜骨卜の占いを言っているのではないか?ということです。『占』は字形からみて『卜』から派生した文字と推測できるからです。

なので、『筮』でこの爻を得たら、卜で占って確かめるまでもなく、戦利品としての俘虜が手に入る、という解釈になりますね。

かって、筮は植物である蓍を使って数を出して占うものであり、卜は亀等の動物を使って形を出して占うものであった、というのは近年の考古学の成果がしめす所です。

続いて、『またまた元亨利貞』のエントリ。

易辞は常に、
卦画と連関していると、
考えておりますので、
‘原義だけ’ というのには
違和感があるのです。

私はこれまで、卦画を無視しろなどという発言はしたことがありません。言っていないことを言ったかのように言うのは止めて頂きたいですね。

卦画の重要性については、以前のエントリで語ったことがあります。

ついでに言っておけば、私も実占家として書いているつもりです。でなければ、こんなエントリは立てなかった。