当たる占い師とは

実戦と試合

武術の話を出したところで思い出したのが、「レジデント初期研修用資料」さんのところの「一本勝ちは強いのか?」のエントリ。北京オリンピックの柔道の試合がトリガになったこのエントリでは、「オリンピックみたいな国際試合で勝ちたいなら、一本勝ちじゃなくポイントとっての勝ちを目指した方がいいんでないの?」という問題提起が行われていた。柔道での一本勝ちは「オマエ殺した」の代替なわけで、柔道が武術であるならそれを目指すのが当然なのだけど、スポーツであるなら別の目標、別の戦略があって良いしあるべきなんだろう。武術は自分が生き残るために相手を制圧することを目的にしている。相手を完全に制圧した状態では相手は死んでいるわけで、その目的のために対人の稽古をするなら約束組手が精一杯なんじゃないだろうか。

スポーツであるなら安全に戦わなくてはいけないという制約がつくので、決まったら相手に回復不能のダメージを残すような戦い方は当然のように禁止される。そういう点で近代の剣道と剣術を比較したcomplex_catさんの「剣術と近代剣道」や、その元になったInterdisciplinaryさんのところの「結局答えは出なかった」なんかは非常に興味深いものだった。剣道は竹刀と防具によって、真剣での立会いよりも遙かに安全に試合ができる。ただ剣道は試合に勝つことを目的にするようになったわけだけど、その剣道で培った功夫が真剣を振るうときにどの程度有効なのかはわからない、というのもまた事実だ。

これは同じく術である占術を例えにした方が解りやすいかもしれない。占いで実戦に相当するものは鑑定であって、鑑定をこなすには、

  • 術理の理解
  • 術理から現実への展開
  • 相手の話を聞いた上での適切な解答の用意

が必要となる。占いで試合に相当するものというと、やはり射覆ということになるだろうか。射覆は平安の頃から陰陽師の技比べの遊びとして開かれていた。後鳥羽上皇が開いた射覆大会なんかは明月記に記録が残っていたりする。射覆では出題者が隠した事物を占って当てるということが要求される。この場合、鑑定の現場で一番重要な「相手の話を聞いた上での適切な解答の用意」はしなくて良いわけで、射覆で100発100中であっても良い占い師である保証は全く無い。