術くらべ

一番当たる占い

「どの占いが一番当たるのか?」これは占いを外から眺めている人なら一度は思ったことではないだろうか。まあ占いに関してインサイダーのはずの人間が「○○って使えるんですか?」みたいなことを書いているのを見たこともあるので、ちょっと関心の外にある術については、アウトサイダーもインサイダーも関係ないのかもしれない。

しかしながら「術」である以上、術者を抜きにしては術の優劣を語ることはできないだろう。例えば私の六壬と昭和の易聖加藤大岳周易では、提灯と釣鐘くらいの差は当然のようにある*1わけであるけど、じゃあ安倍晴明六壬加藤大岳周易ならどうだろう。晴明の六壬は伝説で脚色されているというなら、阿部泰山の六壬ならどうだろう。阿部泰山は、その日の出来事を占って何時頃に老婦人が来宅する。その老婦人は風呂敷包みを持っており、その中身は云々と占って果然であったという。泰山の六壬の換わりに閲微草堂筆記に書かれた李鷺汀の六壬ではどうだろう。

つまり術の優劣というのは非常に属人的なもので、術自体を比較することはできないといって良いだろう。もっとも、こういうことを書くと「術理の深遠さで決まる」とか言い始める人がいそうだが、では下駄を投げてその裏表で吉凶やYes/Noを占う人がいて、必ずで悪ければ99.9999%の確率で当たる*2時、その術は多分、加藤大岳周易に勝るだろう。

こういったことは術であるならどこでも似たようなものらしい。リアルな武術をマンガで描くことができる山本貴嗣のサイトには、武術関連の優れた論考があるけど、その一つに「その13 何が最強か論」がある。これは以下に引用するいい話で締めくくられている。

 私の知り合いにお父様がある有名な剣術の達人の人がいる。
 息子さんは別の剣術を学んでいる。
 失礼を覚悟の上で匿名として述べるが、私の知る限りでは息子さんの学んでいる剣術の方が「高度な」ものである。それぞれの達人が戦えば、息子さんの流派が勝つと思われる。
 ただお父様の腕というのが尋常ではないので、いくら息子さんが「高度」な剣術をやろうが、死ぬまでかないそうにない腕の差がある(それは息子さんも良くわかっていて、自分でもそう言っておられる)。
 ある日、息子さんはお父様の剣術の奥義というのを見せてもらって、自分の学んでいるものと比べ、思わず
 「なんだーレベル低いなー」
 とお父様に言った。
 と、お父様は笑いながら
 「そりゃそうだよ○×流だもーん、はっはっは」
 あっけらかんとしたものだったという。
 いい話である。
 息子さんもお父様も、全てわかった上で「事実のみ」を語っている。
 息子さんの剣術がお父様の剣術より高度なものであることは息子さんもお父様も認めている。息子さんがお父様にかなわないことも二人互いにわかっている。そもそも息子さんはお父様の腕を認め尊敬した上での「発言」なのである。その上でのこの会話である。

 何が最強かなど外野は語るだけ馬鹿馬鹿しい。

*1:無論、私の六壬が提灯。

*2:Yes/Noクエスチョンであれば、当たり外れの統計データから当たる確率を計算してかまわないというのは「占いの当り外れ(その1:再現率と適合率)」で解説した通り。