風水講義

風水講義
風水講義

今更私が書いたところで屋上の上に屋上を作るようなものだけど、リクエストをもらったので書いてみる。すでにいくつかのところで言及されているので、大差ない内容とは思う。

本書では新書というスペースの中に、オーソドックスな風水とはどのようなものなのかが最大限に詰め込まれている。そしてオーソドックスな風水の典拠として「地理人子須知」を採用している。「地理人子須知」は明の時代に完成したテキストで、著者は陽明学を学んだこともある知識人の兄弟である。「地理人子須知」は儒教の観点から、

  • 人の子として親に孝養をつくすことを目的として、
  • 親を埋葬するにあたっての必須の知識を、
  • 一般人に解説することを目的として、

書かれた書物である。地理は天文に対応する語である。天文がその昔は狭義の天文学と天文による占いのアマルガムであったように、地理もかっては狭義の地理学と地理による占いのアマルガムであった。つまり「地理人子須知」の地理は風水を意味している。また「地理人子須知」は埋葬について書かれたものなので、当然のように陰宅が中心になっている。

なお「地理人子須知」は埋葬という両親に対する最後の孝養が目的の書なので−孝養をつくした結果、自分や自分の子孫に何か良いことがあるかもしれないにしても−自分の開運を目指したものではない。従って「地理人子須知」を解説している「風水講義」も開運のための書籍ではない。著者の三浦國雄先生は8ページで

本書は一部の読者が期待しているような風水のハウツウ本ではなく、本書を熱心に読んでも幸せになれるわけではない。

と語っている。なお新書という狭いスペースの中で、第一講の「風水とはなにか」に28ページもの分量が割かれているのは、日本における「風水」という用語の乱用を考えると仕方がないことだろう。第一講を読めば風水という言葉が本来持っていた意味、現代における風水という言葉の使用状況を理解することができる。

第二講は「地理人子須知」が他の風水書と異なっているところの、儒教風水のスタンスと「地理人子須知」の来歴が説明されている。「地理人子須知」の著者である徐兄弟が著述に至った動機の一つには、いかさま風水師の横行に対する憤りがあったらしい。つまり風水について一般の理解を深めることが、いかさま風水師を減らす一助になるだろうということである。

第三講以降では「地理人子須知」の巒頭、つまり地形の吉凶を読破する方法の解説が行われている。大きなところでは中国全体、そしてかって都が置かれた都市が豊富な図版を使用して説明されている。なお多くの風水書で「地理人子須知」の図がコピペされているらしい。

第五講以降が陰宅風水における地理四科つまり龍穴砂水の見方の解説となっている。私のはてな日記を読むような人にとってはいわずもがなのことだが、

  • 龍…山脈や地形の起伏
  • 穴…龍が地上におりてその気を噴出す地点
  • 砂…穴からでる気が散らないように守る地形
  • 水…穴からでる気を留めて集める河川湖沼海

である。これも豊富な図版が使用されている。

ということで、「風水講義」は今のところ巒頭の見方を概観するには最適の書籍といっていいだろう。個人的には「風水講義」を読まずに風水を語ること禁止、といいたいところだ。確かに風水の二本柱である巒頭と理気の、理気についての解説が「風水講義」ではカットされている。しかし巒頭を無視したような風水が横行している日本では、「風水講義」のような書籍は絶対に必要な書籍である。

風水について語りたいなら、幸せになれなくても「風水講義」を一読すべきだろう。