やっぱりブログも書いてみるもんだ

以前この「はてな」の日記で焼餅歌の話を書いたことがあった。それが偶然、陳先生*1の目にとまって、劉基がどのように占ったかの話を書いて下さった。どこかにあった解説を引っ張ってこられたみたいだが、以前から以前から興味のあった面白い話なので紹介しておきたい。

その術は六壬とは異なるがやはり時刻をトリガにしている術を使ったようだ。「九宮八卦掌」という名前のようで、九宮八卦掌では時刻から易の大成卦を、そして占う人間の地位から動爻を出して占ったようだ*2。占いの手順について陳先生は以下のように書かれている。

歴史の記録により、明太祖と劉基の対話の日の日支が乾卦に入った日で、時刻が坎一宮に入ったのです。
で、水天需の象になります。五爻が君王(明太祖)、四爻が五爻のすぐ下なので、劉基本人になります。本人が応答なので、四爻動になります。
で、水天需之沢天夬になりました。

射覆の術も色々な技法があるもんだと、つくづく感心してしてしまう。しかしこの方法はものすごく応用範囲が広いだろう。会議中に誰かの報告について成り行きを占ってみるとかはすぐに思いつく。動爻の取り方として、企業なら社長を五爻として取締役か部長あたりが四爻、課長が三爻、リーダー級を二爻、ペーペーのヒラを初爻といった当てはめができるだろう。上爻は会長とかか。

劉基が需之夬からどのように「半似日兮半似月。曾被金龍咬一缺。此食物也。」に到達したかは、今だといくつか解説が Web に落ちている*3。しかし離を日に対応させるというのはすごく馴染みのある感覚だが、坎を月に対応させるというのは言われれば納得だが、自分では全然思いつかなかった。周易の基礎が私の身には付いていないということだろう。自戒すべし。

*1:いわずもがなだが、怪しげな紫微斗数の御仁とは別の人。

*2:梅花心易とも異なっている。

*3:例えばこれ