『中筮法疑義』に疑義

圓寂坊の御師さんが九字を例にオリジナルが常に最良とは限らないと言っていたわけだ。周易も近年の考古学の進展に伴って、易以前の易についての知見が深まってきた。それは植物つまりキク科の蓍を使っていくつかの数字を出して、その数字のパターンで占うというものであった。つまり易以前の易は数秘術で、数字を出すのに植物を使っていた。

その数字が六と九に収斂して生まれたのが易であり、大成卦は初めから大成卦であって、小成卦から大成卦が生まれたものではなく、逆に大成卦から小成八卦が生まれたわけだ。
そして擲銭法があるように数字を出すのには、蓍を使用する必要もなく筮竹が必須というわけでもないだろう。蓍に関しては、立卦の前に蓍と似たようなキク科のヤロウの香りで気分をリセットするくらいが、今なら丁度善いのではないだろうか。

こういった知識があれば、ブログ『吾唯知足』で表明された『中筮法疑義』の、

八卦を縦に六つ並べて大成卦を出すのはまったく理屈に合わない。

というのは暴論と言って善いと思う。私はブックマークして以下のコメントを付けた。

銭三文の代わりに八卦を使っているだけだと思いますが。

三文銭の擲銭では3枚の銭の裏表から少陽、老陽、少陰、老陰を出すのたけど、少陽と老陽の出る確率は同じでないのは確率の最初の方で習う。この少陽、老陽、少陰、老陰の出る確率はそれぞれ、八卦のうちで、乾は老陽、震、坎、艮は少陽、坤は老陰、巽、離、兌を少陽とする確率と変わらない。何か問題があるのだろうか。

大石眞行さんは「中筮における爻卦は、江戸の頃に断易の納甲をヒントにして生まれたものなのだろう。」と、考えているそうで私もそんなところだろうと考えている。その爻卦を使って占断の内容が深くなるのだったら、それで善いのではないか。オリジナルが常に最良とは限らないのだし。

まぁ、『吾唯知足』の主さんも考えを改められたのか『中筮法疑義について、補足』ではずいぶんとトーン・ダウンした印象だ。