やっぱりググってみるもんだ

Wikipediaの四神相応の記事を読んで、現代日本でいわれているところの「四神相応」の配置が、作庭記に起源を持っているらしいことがわかった。そこで作庭記の原文に当ってみたいと考えていたのだが、作庭記へのポインタなんて手持ちにない。さてどうしようか、古文献に詳しい知人に頼ってみるか、でも念のためググってからにしよう、ということでググってみた。

四神相応 - Wikipedia

するとさすがにグーグル、1発で見つけてきた。

公開: 作庭書

「公開: 作庭書」の32章には以下の記述がある。

一、樹事
人の居所の四方に木をうゑて、四神具足の地となすべき事 
経云、家より東に流水あるを青竜とす。流水なもしそのけれバ、柳九本をうゑて青竜の代とす。西に大道あるを白虎とす。若其大道なけれバ、楸七本をうゑて白虎の代とす。
南側に池あるを朱雀とす。若その池なけれバ、桂七本うゑて朱雀の代とす。
北後にをかあるを玄武とす。もしその岳なけれバ、檜三本うゑて玄武の代とす。かくのごときして、四神相応の地となしてゐぬれバ、官位福禄そなはりて、無病長寿なりといへり。

これが日本でいう「四神相応」の起源なんだろう。内容としてはどう読んでも都市の建設とは関係なく「家の四方に作法に従って木を植えておくとその家は四神相応なりますよ。」ということなる。もっとも作庭記の四神相応は確かに、

  • 東に流水
  • 西に大道
  • 南に池
  • 北に丘

ではある。ただ南の朱雀が「池」、北の玄武は「をか」であることから、これは都城建設ではなく、個人の住居を念頭において書かれたものと考えられる。作庭記は寝殿造りの住居における庭の造り方の指導書*1なので、この考えは間違っていないだろう。ということで、作庭記の四神相応は、陰宅や都城建設ための四神相応と同じものでないと結論して良いだろう。

*1:秘伝のね。