四神相応とか

Wikipedia - 四神相応”の項目の編集もかなり落ち着いた感じになってきた。私が編集に参加しはじめた頃は、まだ四神相応=山川道沢を頑強に主張する人はいたのだが、ノートでのやり取りを通じて、現代でも確認できる古文献において使用されている『四神相応』には決まった形がないことがはっきりしてきた。非常に大雑把にいうと、『四神相応』とは「ここは良い土地である」ということの同義反復に近い形で使用されてきたわけだ。

実は今日、松永英明*1さんと中国茶を飲みながらそのあたりも話をしてきたのだけど、最近の松永さんは、初期の陰陽道にはかなり古い段階の地相を読む術*2が入り込んで来ていたのではないか、と考えているようだった。まぼろしの五色不動で見せた綿密なフィールドワークと1次資料に当たってから記事を書くことを信条としている松永さんが、こういった見解を披露してくれたことはちょっとした驚きだった。その話の中で、松永さんが「作庭記」に興味を持っているという話が出て、それに関連して「図解 庭師が読みとく作庭記「作庭記」の世界―平安朝の庭園美 (NHKブックスカラー版 (C27)) 」が少し話題に出た。「作庭記」は用字解釈に諸説が多いそうで、庭造りの現場に立つ庭師日本庭園の研究者として知られる森蘊さんによる「作庭記」の解説本が前掲書だそうだ*3。なんでもそれまで「檜」として解釈されていた文字が、庭師庭園研究者の観点からは「楡」ではないかといった、現役庭師庭園研究者ならではの解釈などもあるらしい。いずれ読んでみたいと考えている。

東京という地名は、何が元になったのかといった面白い話も聞くことができて、贅沢なひと時を過ごさせてもらった。東京については、信長が生きていたらいずれは江戸に城を作っただろうし、岐阜とか土地の名前を変えていった信長なら、江戸を東京にしたんじゃないかとヨタを飛ばさせてもらった。

[03月01日追記]松永さんから連絡があって、話題になった作庭記の本は、「図解 庭師が読みとく作庭記」ではなく「「作庭記」の世界―平安朝の庭園美 (NHKブックスカラー版 (C27)) 」だった。

*1:id:matsunaga

*2:巒頭の原型みたいなもの。

*3:そのあたりは、私の著作である『安倍晴明「占事略决」詳解』が、占い師が占いに使える本として略决を解説したのと似ている。