毎度essaさんには触発される

essaさんの圏外からのひとことは私にとって非常に重要なブログで、色々な方面で触発される。今回はデジモノに埋もれる日々:「大衆は無知であれ!」を知ることができたし、「術」と「学」について少し考えを深めることができた。

断絶への航海
断絶への航海
以前からネットがリアルに影響を及ぼして引き起こしている現象は、断絶への航海で描かれているケイロン人が地球人に影響を及ぼして引き起こした現象に似ていると感じていた。それはオープンソースなソフトウェア開発から受ける印象であったが、デジモノに埋もれる日々:「大衆は無知であれ!」でもう一つ似ているものを見つけることができた。それは、ケイロン人ならほとんどが「情報ポートフォリオ」を自ら構築しているということだった*1。「情報ポートフォリオ」を自ら構築するというのは結構しんどい作業だが、ネットを使ったテキストの相互参照はそのコストを飛躍的に下げてくれた。一方的に情報を発信して他者を誘導することは、今後どんどん困難になって行くだろう。

さて「術」の世界では、肝心な部分はテキスト化できず不立文字である。まあ秘伝書みたいなものがあるが、それとて体験の深さがある水準に到達しないと、秘伝書を読んでも「何?これ?」になるのがオチだ。

「術」の世界では、たとえ同じ師匠について同じことを一緒に習ったとしても体験は個々に異なっている。「学」にできるのは、個々に異なる体験から抽出される共通の部分をテキスト化して共有することだろう。

ネットはその共有を高速に低コストで行うことができる。テキスト化できる情報を秘匿して、その情報格差で商売をするということは今後困難になって行くだろう。すでに拆補に関する情報が2chに落ちていたりするのだから*2。今すぐということはないが、占いでも術者としての体験の深さを競う世界が10数年後にはやって来るだろう*3

*1:年端も行かない子供でも。

*2:それも1年以上前の話だ。

*3:遅くても上元一運だ。