1月の災害

阪神淡路大震災でも出た話

正月早々、令和6年能登半島地震に見舞われた。被災された皆様には御見舞い申し上げます。

占い関係者には、

今年は三碧の年で、八卦で言えば震になる。地震の年だ。
甲辰でもあり、辰は震に含まれているようにこれも地震を表す。

といった考察を出す人もいる。
個人的には「待てよ」といいたい。まだ立春前で、建前上はまだ甲辰三碧の年にはなってないわけだ。こういった話は『阪神淡路大震災』でも出た。『阪神淡路大震災』は1995年(平成7年)1月17日におきた。年が変っていたら乙亥五黄になる。このことから、

五黄は災害を現し、年支の亥は四馬*1の1つで動くことを表す。
地震が起こったのは不思議ではない。

といった読み解きをした人もいた。しかし立春前なので甲戌六白の年の内に地震は起こった。

私なんかは「年の切り替わりは冬至に始まって春分で完了する」と考えているので、立春前に年明けの象が出たとしても「そういうこともあるよね」で済ますこともできるだろうけど、そうでないなら安直に来年の象を持ち込むのは問題ではないだろうか。

私にとって老大哥である故鮑黎明先生は、これについて独自の見解を持たれていた。「紫白九星は大雪*2で切り替わり、年干支は立春で切り替わる。」というものだ。もっとも鮑先生はこれとは別の太陰太陽暦をベースにした、年の切り替わり日の算出方法を使われているみたいだったけど。

年の切り替わりについて、もう一度考えてみるよい機会なのではないだろうか。

*1:寅巳申亥の孟支は、駅馬がこの4つにしか来ないことから四馬と総称されることがある。

*2:だったと思う。

その男、狡猾につき

知人が推理小説を書いた

知人はヤングジャンプで連載されている『ジャンケットバンク』が好きだ。ことに登場人物の1人である村雨(むらさめ)礼二(れいじ)が大好きで、とうとう村雨(むらさめ)礼二(れいじ)を主人公にした推理小説を書いてしまった。そのジャンケットバンク本格ミステリ『その男、狡猾につき』が BOOTH で販売されている。これには短編が2作収録されている。

『ジャンケットバンク』を知らない人のために少しだけ説明をしておくと、壊れた人間が作ったイカレたゲームで壊れた人間が身体機能ないし命をかけて戦う話だ。主人公の真経津(まふつ)(しん)*1は、説明されたゲームのルールをメタに問い直して真の勝利とは何かに辿り着き、相手の特性に合わせながら文字通り身を削って相手の選択肢を奪う。そして勝つ。

知人が推す村雨(むらさめ)礼二(れいじ)は見る人だ。全てを正しく見る。ただ見たものを常に正しく理解できるわけではない。そこを突かれて真経津(まふつ)(しん)に1敗している。この正しく見るが常に正しく理解できるわけではないという特性は、京極夏彦が生み出した薔薇十字探偵榎木津(えのきづ)礼二郎(れいじろう)と共通している。バカ明るい榎木津(えのきづ)礼二郎(れいじろう)とは逆に村雨(むらさめ)礼二(れいじ)は陰惨な雰囲気をまとっていて陽と陰だ。しかしどちらも自分で選んだ職業をアイデンティティの核にしているし、すこぶる偉そうに振る舞うという共通点がある。知人は榎木津(えのきづ)礼二郎(れいじろう)も推している。*2

『その男、狡猾につき』で村雨(むらさめ)礼二(れいじ)は見たものを正しく理解するべく思考し行動する。そして正しく理解した時、物語の序盤で見せられた事件の構図は、図と地が逆転し全く異なった様相を見せる。そして事件は解決する。よく書けていると思う。このブログの読者にも一読を勧めたい。

なお登場人物のキャラクターはジャンケットバンクそのままなので、『ジャンケットバンク』を読んでから本書を読んだ方がより楽しめるだろう。

*1:真の主人公は真経津(まふつ)(しん)担当の銀行員、御手洗(みたらい)(あきら)なのかもしれないけど。

*2:もしもだが、ジャンケットバンクの御手洗が島田荘司が生み出した名探偵、御手洗潔から採られたのだとすると、村雨(むらさめ)礼二(れいじ)榎木津(えのきづ)礼二郎(れいじろう)をベースに生み出されたのかもしれない。

誤占の弁

今年も外した

知人はオシの誕生日の1月6日にガレット・デ・ロワを焼く。ガレット・デ・ロワなので中に当りが入っている。
切り分けたピースのどこに当りが入っていたのかを占いで当てるという遊びをしている。初めてだった去年は外した。

今年も挑戦状が来た。当りは指輪で、円形のガレット・デ・ロワを十字に切って4つのピースに分けたということだった。

十字に切ったということなので八卦の四隅卦に対応させれば良いだろうとまずは考えた。十二支だと、丑寅(艮で左下)、辰巳(巽で左上)、未申(坤で右上)、戌亥(乾で右下)ということになる。

当りの指輪だが、ソーウィンの御祭りで出てくる来年を占う小物の場合は指輪が結婚を指す。同じようにこのガレット・デ・ロワの当りも婚姻の象と捉えた。陰日の占いなので三課支上神を見ると、騰蛇が乗じていて婚姻の象とは言い難い。次に発用初伝を見ると玄武が乗じていて、やはり婚姻の象ではない。しかも空亡しているので発用からは答えが採れない。

干上神を見ると天后が乗じている。天后は花嫁の類神であり、これは婚姻の象だ。地盤となる日干寄宮は未で坤となる。そこで右上と答えることにした。ところが末伝に青龍が乗じていることに気が付いた。青龍は花婿の類神でやはり婚姻をしめしている。そこで第2候補として末伝地盤の丑から艮の左下をあげておくかと考えたが、やっぱり止めた。

4つの内で2つあげたら出鱈目でも当たる確率は2分の1だ。ということで右上と回答した。外した時は「ヘボで済みません」で済む。
すると答えは左下ということで、今年も外した。ヘボで済みません。

ただ知人のオシは男性なわけで、オシの御祝いということなら、花嫁ではなくて花婿を採るべきだったわけだ。そこまで詰められなかったのは、やっぱり私がヘボだった。

奥多摩ドライブ

太占の痕跡を追って

関東は面白い所であり、近世まで太占である鹿卜を伝える神社が3ヶ所あった。武蔵御嶽神社、阿伎留神社、そして群馬の貫前神社だ。奥多摩の武蔵御嶽神社、阿伎留神社は山を挟んで両側にある。阿伎留神社には『神伝鹿卜秘事記』が伝わっているし、御嶽神社は今でも正月3日*1に太占の神事が斎行されている。

『神伝鹿卜秘事記』によると阿伎留神社の鹿卜は、対馬忌部氏から伝わったものとなっている。対馬を本貫の地とするであろう阿比留氏が東漸して千葉に畔蒜として定着していることを考えると頷ける話ではある。ただ大江篤先生の話では、出土物として鹿卜に使った鹿の肩甲骨はありふれているけれども、亀卜の出土物は対馬壱岐、そして三重の一部に限られるそうだ。なので亀の甲羅が入手し難いがために鹿の肩甲骨を使ったのかどうかについての判断は保留するしかない。

ということで、まず阿伎留神社を目指した。カーナビに阿伎留神社をセットして出発したのだけれども、少々変な所に案内された。丁度、阿伎留神社の宮司を務める家柄の阿留多伎家の墓所の前だった。伴信友と親交があり、伴信友の『正卜考』の鹿の肩甲骨の図の元になった図が収録されている『神伝鹿卜秘事記』を伴信友に見せたという*2阿留多伎貞樹の御墓もあった。

御墓の向こうに阿伎留神社があるのは間違いないので、少し車で移動したら阿伎留神社についた。当然、御参りする。

そして境内に占方神社があったので御参りする。

そして御嶽神社に向かった。御嶽神社周辺は車での立ち入りが禁止されているので、ケーブルカー乗場の駐車場に車を停めてケーブルカーで御嶽神社に向かう。車でなくても欲望の街新宿から中央線に乗って2時間くらいで御嶽神社まで来ることができる。関東はやはり面白い。
ケーブルカーを降りてからかなり歩く。前に来た時と比べると石段が整備されていて少しは楽になっていた。そして前回と違ってワンコ連れをやたら見る。なんとか御嶽神社についた。

この拝殿のさらに奥に色々と神さんが祀られている。案内の掲示が整備されていたので、今回は太占神事が斎行される場所を見ることができた。

この案内の右手の石段を下りたところに平らな場所があって、そこで太占神事が斎行される。非公開で立ち入り禁止だった。

御嶽神社は元は『大麻止乃豆天神社』と言ったそうだ。神道研究家の竹内健氏によれば『大麻止』は『大真戸』であって、顕幽の境界に位置する門で『大戸』とすることもあるそうだ。顕幽の境界に位置する門なので、占いをする場を聖別し幽界とこの世をつなぐ卜庭神としている。そういえば、今の祭神の櫛真智命は占いの神でもあり、元は『大麻等乃知神』といったということで、大麻止乃豆天神が占いの神であったのは間違いないだろう。

境内には櫛真智命の御御籤もあった。
参道の脇に御嶽神社大麻止乃豆天神社であったことの名残がある。

おまけ ケーブルカーに乗ったらこんなカードをもらった。

それと以前見た鹿肉のレトルトカレーが無くなってた。代わりにイノシシのレトルトカレーがあった。

*1:今日だ。

*2:神道研究家の竹内健氏はそう考えている。

散髪に行ったらスカだった

雨の中歩きながら課式を立てる

明日3日は武州御嶽神社で太占*1の神事が斎行される日で、参列は叶わないけど結果を見に行ってみるかと思っていたので、今日2日は散髪に行こうと考えていた。

外に出たら傘が必要なくらいは雨が降っていたので傘を取りに戻った。多分、これは兆しだったのだろう。
歩きながらスーパーマーケットが閉まっているのを見て、散髪屋がやっているのか不安になって課式を立ててみた。よく行く散髪屋は別のスーパーマーケットの3階に入っている。午か未刻、多分未刻ということで、月将が大吉(丑)ということは返吟課になる。なのでスカ喰らうだろうと思った。

行ってみるとスーパーマーケットは開いていた。そこで中に入って散髪屋まで行ってみると、案の定開いてなかった。

寒かったので近くのモスバーガーで暖をとって帰宅した。途中、課式について考えた。三伝の戌は空亡だったということで、辰は戌に坐しているので坐空になる。つまり三伝全てが空亡しているわけだ。そして返吟課無依ということで、発用と末伝が同じになる。このことから返吟課無依には、繰り返しの象が出てくる。

返吟課無依で三伝に空亡が絡むと、三伝が全て空亡になって結果が出ないまま同じことを繰り返す象となることは、富永祥玲さんがブログで指摘していた通りだ。ということで戌の空亡が明ける11日まで散髪に行くのはやめた。

*1:鹿占

辰と竜

来年は辰年だが

『辰』という文字は本来は二枚貝(ハマグリ)が口を開けて足を伸ばした様を写した象形文字だ。この辰がどういう過程を経て十二支に組み込まれたのかについては既に忘却の彼方となっている。図は Wiktionary-辰から拝借した。

ハマグリから伸びた足は波打っているので、辰の派生儀に「波打つ」「振るえる」もある。
気象現象を意味する雨冠に振動の辰を加えた『震』は雷、特に雷鳴を意味する文字となっている。易の卦の『震』は雷鳴の卦というわけだ。

Wiktionary-辰によると、辰は以下の意味も持っている。

  • たつ。十二支の5番目。
  • 時間。日和。
  • 星。

星や時間の意味がどのようにして辰に付加されたのかは分からない。なお六壬だと『日辰』というと、日干と日支を指している。この用法は時間や星の意味とつながっているのだろう。

このように『辰』が元々のハマグリからかけ離れた意味まで持つようになったため、改めてハマグリを指す文字が作られた。それが『蜃』だ。辰に生き物を指す虫が加えられている。

中国では『蜃気楼』は巨大なハマグリが吐きだす気によって生み出される幻の楼閣と考えられていた。それは日本でも引き継がれていて蜃気楼には“かいやぐら”の訓がある。

さて十二支辰の命獣は竜ということになっている。十二支の中で唯一の空想の動物と言われているけれども、私は揚子江アリゲーターが竜の原型だったと思っている。

Wiktionary-龍では『竜』は『龍』の古字だが、殷の時代の金文を見れば分かるようにトカゲの類の王として冠をつけた文字が『竜』の原型だ。前足のようなものがあるので、ヘビではなくトカゲだろう。

ということで、竜が揚子江アリゲーターであったことにはかなりの信憑性があると考えている。

十二支には命獣にちなんだ獣肉があり、自分にとって吉となる十二支の獣肉を食べることで開運できたりするわけだ。辰の獣肉は亀とされているけれども、竜が揚子江アリゲーターだったことを考えるとワニ肉の方がより相応しいだろう。

失物を占って独足課に出会う

稲荷巻を探す

稲荷巻というのは、豊川稲荷門前の土産物屋で買った煎餅のことだ。まあ味としては普通の甘い煎餅だが焼きたての柔らかい間に巻いた巻煎餅だ。見た感じとしてはデカめのうまい棒という感じだろうか。

食べてみると巻いてできた中心の隙間に砂糖を練ったものが入っていた。豊川稲荷の門前で売っているだけあって、如意宝珠とか色々な図や文字が焼き付けられている。

実は駐車場の料金精算で 1000 円札が必要になったので 5000 円札を崩すために急遽購入したのだけれども、個人的には案外ヒットの品だった。

夕食の支度をしながらツマミ食いしようとキッチンに持ってきたはずなのだが、何故かキッチン周辺で見当たらない。

そういえば豊川稲荷らしいヴィジュアルなので、食べる前に写真撮って twitter(X) にあげるかと思って移動させた気もする。ただ普段座っている PC 周辺でも見当たらない。

ツマミ食いは諦めて夕食後にちゃんと探すことにした。

改めて色々探したけれども見つからないので六壬に問うことにした。

己未日なので五重日だ。賊剋がなければ八専課になる。そして賊剋は無かった。やはり八専課ということになる。八専課の発用は陰日であれば四課の跳退、陽日であれば一課の跳進になる。

己未の陰日なので、四課亥の跳退で酉が発用になる。中末伝は八専課だとどちらも一課を採るので中末伝も酉になる。

三伝が全て酉の八専課は独足課という名前がある。天将の配布を別にすれば、720課の中に独足課は1つしかない。

珍しい課式引き当てたものだと思いながら、ふと振り返ると稲荷巻の袋に入っている赤い紙片がチラリと見えた。何のことはない。写真を撮るかと持ってきたのはよいけれども、夕食の支度のためにセーターを脱いで稲荷巻の上に置いてしまったので見つからなかっただけだった。

独足課は孤独の象と言われているけれども、そういうのとは無関係に見つけてしまった。課式を読み解いて見つけたわけではないので、何となく徒労な感じがした。

なお八専課では中末伝は一課を採ることになっているけれども、これは結果論だろうと考えている。賊剋が無い場合、中伝には陰、末伝には陽を採ることになっている。この場合の陰陽は、陽日は一課が陽で三課が陰、陰日はその逆で一課が陰で三課が陽になる。ただ八専課は日干寄宮と日支が同じなので一課と三課が同じということで、中末伝はどちらも一課を採るとされているのだろう。

疑問に思っているのが別責課でも中末伝にどちらも一課を採っていることだ。五重日ではないのだから昴星課と同じように中末伝を採るべきではないだろうか。