拙著の状況

Amazonで爆上げ中

版元の岩田書院様の御厚意で3刷まで出して頂いた拙著『安倍晴明占事略决」詳解』だけど、3刷をもって絶版となった。そのため版元での在庫が無くなった段階で、岩田書院様は拙著についてはAmazonマーケットプレイスからは撤退することになった。

結果、拙著のAmazonマーケットプレイスでの状況はこうだ。このエントリを書いている時点では、軒並み10,000越え。中には定価の10倍の値段の所もある。

鴨書店も在庫切れになったのか、検索しても拙著が出てこない。ただこの状況でも拙著を定価+税で購入できる通販サイトが1箇所残っている。まんだらけ通販さんだ。ここも売切れたら新品は無いと思う。

もっとも岩田書院の岩田社長からは「もし引き取って出版する所があれば、印刷データを提供しますよ。」と言って頂いているので、引き取り先を絶賛募集中。

日本の亀卜

大嘗祭で使用された亀卜

先週の土曜日に大阪、中之島の朝日カルチャーセンターで、大江篤先生による『大嘗祭と亀卜』の講座が開かれたので行ってきた。大嘗祭の亀卜については、5月12日の『龜卜についてダラダラと』のエントリでこんなことを書いた。

ただ大嘗祭絡みの亀卜は、阿伎留神社に伝わった鹿卜とはヒビの入れ方が異なっているようだ。というのは亀卜の道具に『波波迦木(ははかぎ)』が含まれているからだ。波波迦木はウワミズザクラの小枝のことで、NHKの記事では『燃料』となっているけれども、材質が堅いという特性を考えると単なる燃料ではないだろう。つまりウワミズザクラの小枝の先端を燃やした後に炎を消して、燃えさしの火を亀の甲羅に直接に押し当ててヒビを入れたのだと考えられる。勿論、押し当てる場所にはマチガタが切ってある。

この想像は事実とは異なっていた。大嘗祭の亀卜において『波波迦木』は全く熱源としての燃料で、整形して作成した亀甲板全体を焼いてヒビを入れていた。これについては、講義の質問時間で質問させて頂き、丁寧な回答を頂いた。

私は講義の前に、朝廷の神祇官が正式に採用したのが鹿卜ではなく亀卜であったのは何故か?という疑問を持っていたのだけれど、大江先生もそこに疑問を抱いておられたようで、講義全体がその疑問に回答するように組み立てられていたように感じた。

講義の導入部で、弥生時代の日本では鹿卜はありふれたものであったことが出土物からしめされた。鹿卜で使った鹿の骨が数の多寡はあっても日本全土から出土しているとのことだった。一方、亀卜で使った甲羅が出土するのは対馬壱岐、伊豆の3地域のみで、また神祇官で亀卜を担当する卜部もまた対馬壱岐、伊豆の3地域からの出身者に限られている。

こういったことから大江先生は、朝廷の亀卜についての基本方針として、

  • ありふれた鹿卜では国家の大事を占うのに力不足であり、亀卜を正式なものとして採用する。
  • 亀卜に関係する人間を厳選し、式次第を含むノウハウを完全に秘匿する。

が、あったのだろうと結論されている。

さて、私の「波波迦の材質が堅いことから、波波迦は小枝の先端を燃やして火を作って直接に甲羅に押し当ててヒビを入れる*1用途と考えられる。にもかかわらず、甲羅全体を焼く大嘗祭の亀卜で波波迦が使用されているのは何故か?」という質問への大江先生の回答は、

波波迦は『点灼』で使用するのが本来の用途*2だと考えられるが、波波迦は鹿卜・亀卜で使用する熱源としての伝統があり、大嘗祭の亀卜もその伝統の上にたって波波迦を使用したのであろう。

ということだった。

なお、出土する弥生時代の鹿卜で使用された鹿の肩甲骨は、加工の状態が『神伝鹿卜秘事記』に記された鹿の肩甲骨の加工の状態と全く異なっていた。『神伝鹿卜秘事記』では対馬の亀卜が関東に伝わって鹿卜となったとしているので、『神伝鹿卜秘事記』の鹿卜は弥生の鹿卜が受け継がれたものではなくて、些か新しいのではないかという疑問を持ったのだが、大江先生によると鹿卜の伝統が断絶したために江戸時代に国学者達による研究もあったが、今のところ軽々な判断はできないとのことだった。

解りやすくためになる講義だった。大江先生、ありがとうございました。

(やっと9月中にエントリをあげることができた。)

*1:これを『点灼』とよぶそうだ。

*2:実験によると単に押し当てただけではヒビは入らず、押し当てた先端に息を吹きかけて温度をさらに上げてやらないといけないそうだ。

死の宗教

日本も案外、儒教の影響を受けてる

「日本は儒教の影響を受けなかったから中国・朝鮮と違って近代化に成功した」という妄説があるみたいだけど、なんのことはない、日本も儒教の毒はたっぷり回っている。

加地伸行先生の『儒教とは何か』を読めば好く解る。例えば『位牌』、これは周の武王が商(殷)の紂王を討つべく出陣した時に押し立てた文王の木主が原型だ。つまり位牌は儒教起源、そういうことになる。また法事の三回忌を一区切りとするというのも、儒教の『三年の喪』からきている。

普段は気が付いてないだけで、日本もしっかりと儒教圏に組み込まれているわけだ。余談だけど文王の木主は文王の身長に合わせた大きさだったかもしれない。というのが岡崎にある徳川家の菩提寺である大樹寺にある、歴代将軍の位牌は本人の死亡時の身長に合わせてあるという説があるからだ*1

加地先生によれば儒教は葬祭儀礼をコアとする死を扱う呪術宗教という側面を持っている。なので、儒教と風水、特に陰宅風水が結びつくことになんの不思議もない。

三浦國雄先生が『風水講義』を書く時に底本とした『地理人子須知』がまさにそういう本で、儒教による風水の解説書となっている。

*1:本当にそうなら犬公方綱吉はかなりの低身長だ。

生時推測

亡兄の生時推測

2016年の9月7日に亡くなった兄の是明*1は、物凄く頭の好い人だった。多分、私の3倍くらい頭が好かったんじゃないだろうか*2。しかし、その能力を十全に発揮すること無く亡くなってしまった。まあ自分で不運を呼び込むようなところのあった人なので仕方がない所はあった。それでも兄が能力を発揮する場を与えなかった世間には些かの恨みがある。兄は数学科に進んで4年の時には、宝の持ち腐れになっていたミニコンを自分1人で動かしてしまうような、ゼロを1にできる才能の持ち主だった*3

心肺停止で救急に担ぎ込まれた兄の命が尽きて行くのを、ただ見ているしかなかった体験はかなりキツくて少々心を病んだ。本当にもったいなかった。兄は、1951年04月30日の生まれというのは確実だったけど生時はよく判らなかった。そこで紫微斗数で生時を推測することを試みた。兄は自分で決めたことは決して曲げない*4人だった。つまりキーになるのは廉貞星で、命宮ないし本人をしめす宮に絡んでいるのは間違いなかった。それで見つけたのが、この命盤だ。生年四化は赤で、享年の流四化は緑でしめしている。

太陰 陥
地劫 天空
流禄存


貪狼 旺
左輔 天魁
流擎羊


天同 不()
巨門 不()



小限
武曲 得
天相 廟
右弼 陀羅


太歳
癸巳 疾厄宮 甲午 財帛宮 乙未 子女宮 丙申 夫妻宮
廉貞 利()
天府 廟
文昌 得()
鈴星 陥
流陀羅
大限

松岡是明 様
1951年04月30日 12:00
辛卯年三月廿五日午刻
乾命
木三局

大限 壬辰
小限 乙未
太歳 丙申
太陽 平()
天梁 得
禄存 廟
流天鉞

壬辰 遷移宮 丁酉 兄弟宮
火星 利
天姚



七殺 廟
文曲 陥()
擎羊 廟


辛卯 奴僕宮 戊戌 命 宮
破軍 得
天鉞
天馬







紫微 平
紅鸞



天機 平()
流天魁



庚寅 官禄宮 辛丑 田宅宮 庚子 福徳宮 己亥 父母宮
第一印象を決める遷移宮に廉貞があり、兄弟宮に私の命宮主星の天梁が入っている。太陽もあるので私よりは人当りが好かったのかもしれない。念のために母に聞いてみたところ「お昼頃じゃなかったか」ということだったので生時は午刻で決まりだと思った。この命盤だと官禄宮に天馬があり、転職の多かった兄に合っている。ついでに羅式運命数値をグラフ化してみた。 f:id:hokuto-hei:20190817131438p:plain 赤くなっているのが享年の羅式運命数値で、全体的に見て危険な年の中で亡くなっているのが判る。

*1:“これあき”と読む。

*2:パフォーマンスは自乗で効くから、私の1桁上くらいのパフォーマンスを出す人だった。

*3:そういう点では、私は2を5にするようなタイプだと思う。

*4:良くも悪しくも、そして悪しくもの方が多かった。

合従連衡

中国の戦国時代

古代中国で周王朝の権威が低下し春秋戦国の時代へと移行する。春秋の頃はまだ周の権威が残っていたけれども、大国晋が韓・魏・趙の三国に分裂して戦国時代になると大国は小国を併呑して戦国七雄とよばれる秦・斉・楚・魏・趙・韓・燕と十数の小国だけが残った*1。中でも秦は商鞅を登用して法制度を整備し、いち早く富国強兵に成功する。

史記によれば*2、秦を危険視した楚・魏・趙・韓・燕の6国は同盟を結んだ。同盟を成立させたのが縦横家蘇秦で、同盟した6国が秦を包囲するように南北、縦に並んでいたところから、この同盟は『合従』とよばれている。

一方、秦は他国と二国間で同盟を結ぶことで合従を切り崩して行く。これを進めたのが、合従の蘇秦と並んで有名な張儀だ。秦を起点とする二国間の同盟は大まかに東西、横に並ぶことになるので、この同盟は『連衡』*3とよばれている。

なんでこんな話をしてきたかというと、Quoraでこんな質問があがっていたからだ。

平たく言うと、環太平洋パートナーシップ(TPP)とは何ですか?範囲と意図は何ですか?

急速な経済成長を背景に領土的野心を隠そうともしない中国への包囲網として構想されたのがTPPだと私は考えている。英語の“China”の元になったのが『秦』だと言われているけれども、合従の現代版がTPPなわけだ。中国を軸とするAIIBなんかは連衡の現代版と言えるだろう。

米国大統領のトランプは前任者のオバマを全否定することを優先してTPPから抜けてしまったけど、TPP復帰は考えてみた方が良いと思うね。

*1:春秋時代には200以上の諸侯国があった。

*2:最近の研究では、史記は現実とは異なっているそうだ。張儀-Wikipedia

*3:『衡』には横の意味がある。

御盆の棚経

見様見真似でやってみた

本日14日は、御盆の棚経のある日になっている。私の地元では迎え火は棚経の日の朝に焚くことになっている。朝、行ってきた。今年はたまたま旧七月朔が8月1日だったので、七夕が7日*1で、御盆が15日ということになる。しかも十五夜がきっちり満月なんだけど台風10号がやってくる。空気の塊のくせに空気読めてないよね。

で、棚経の日には仏壇に御霊供膳という御膳のミニチュアを供えることになっている*2柳田国男の『妹の力』とかを読むと、こういう神仏関係の家事は女性が差配するものだったんじゃないかと思うけど、母は入院中だし仕方がないので見様見真似で私がやってみた。
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こんな感じ。2膳でセットになっている。仏壇に供えると、こんな感じ。
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仏さんに御供えするので箸が奥側になるように置いている。

関係ないけど、某所から伊予灘を写真に撮ってみた。判り辛いけど、遠くに島が幾つも見える。こういう海を見て育ったので島の無い海を味気ないと感じてしまう。
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*1:半月が綺麗だった。

*2:実家では御霊供と言っている。

沙悟浄と猪八戒についてダラダラと

頭に皿を乗せた水怪は中国にいないよね

日本で西遊記沙悟浄というとカッパで固定化されているけれども、中国古典文学大系の挿絵に出てくる沙悟浄は色黒の入道になっている。まぁ頭に皿を乗せた水怪は中国にいないということだ。沙悟浄は流砂河という流砂を根城にしていて玄奘三蔵の前世である僧を何代もに渡って喰らってその髑髏をつないだものを首飾りにしているという設定になっている。この流砂河がいつの間にか水が流れる河になってしまったために、沙悟浄は水怪ということになってしまった。日本にくると水怪→カッパだろ、で沙悟浄はカッパになってしまった。ちょっと気の毒な感じがする。

それと沙悟浄の前身は深沙大将という護法神で、現実の玄奘三蔵は難所である流沙河で深沙大将の幻想を見て、深沙大将に励まされたと自らの著書である『大唐西域記』に書き残しているそうだ。なので玄奘三蔵の最初の御供は沙悟浄ということになる。

天蓬元帥

で、猪八戒だけど、玄奘三蔵の御供としては一番最後に加わった感じだ。元々は銀河の水軍を指揮する提督として、天蓬元帥とよばれていたことになっている。実は奇門遁甲の盤の要素に九天星がありその中に『天蓬星』があり、天蓬星の定位は坎宮で坎宮は北方に位置し五行は水となる。つまり天蓬星は水と関連しているので銀河の水軍の提督となったのだろう。

それと猪八戒は『木母』とよばれることがある。例えば100回本の西遊記の32回のタイトルは『平頂山功曹伝信 蓮花洞木母逢災』となっている。意味としては「平頂山で功曹(という使い走りの神が)情報を伝え、蓮花洞で猪八戒が災難に逢う」だ。さて猪八戒は豚が混じっているので十二支は亥ということになる。五行の木は亥に生まれ、卯に旺じて、未で墓に入る。また亥は水行で木行を生じる。つまり亥は木行の母ということで、猪八戒には木母の別名がある。

猪八戒の武器は『九歯の馬鍬』なんだけど、中国古典文学大系の挿絵を見ると太い釘バットみたいな感じで鍬には見えない。

こういう話も沢山あるので、原典に忠実な訳の西遊記は一読する価値があると思うよ。