大嘗祭で使用された亀卜
先週の土曜日に大阪、中之島の朝日カルチャーセンターで、大江篤先生による『大嘗祭と亀卜』の講座が開かれたので行ってきた。大嘗祭の亀卜については、5月12日の『龜卜についてダラダラと』のエントリでこんなことを書いた。
ただ大嘗祭絡みの亀卜は、阿伎留神社に伝わった鹿卜とはヒビの入れ方が異なっているようだ。というのは亀卜の道具に『波波迦木(ははかぎ)』が含まれているからだ。波波迦木はウワミズザクラの小枝のことで、NHKの記事では『燃料』となっているけれども、材質が堅いという特性を考えると単なる燃料ではないだろう。つまりウワミズザクラの小枝の先端を燃やした後に炎を消して、燃えさしの火を亀の甲羅に直接に押し当ててヒビを入れたのだと考えられる。勿論、押し当てる場所にはマチガタが切ってある。
この想像は事実とは異なっていた。大嘗祭の亀卜において『波波迦木』は全く熱源としての燃料で、整形して作成した亀甲板全体を焼いてヒビを入れていた。これについては、講義の質問時間で質問させて頂き、丁寧な回答を頂いた。
私は講義の前に、朝廷の神祇官が正式に採用したのが鹿卜ではなく亀卜であったのは何故か?という疑問を持っていたのだけれど、大江先生もそこに疑問を抱いておられたようで、講義全体がその疑問に回答するように組み立てられていたように感じた。
講義の導入部で、弥生時代の日本では鹿卜はありふれたものであったことが出土物からしめされた。鹿卜で使った鹿の骨が数の多寡はあっても日本全土から出土しているとのことだった。一方、亀卜で使った甲羅が出土するのは対馬、壱岐、伊豆の3地域のみで、また神祇官で亀卜を担当する卜部もまた対馬、壱岐、伊豆の3地域からの出身者に限られている。
こういったことから大江先生は、朝廷の亀卜についての基本方針として、
- ありふれた鹿卜では国家の大事を占うのに力不足であり、亀卜を正式なものとして採用する。
- 亀卜に関係する人間を厳選し、式次第を含むノウハウを完全に秘匿する。
が、あったのだろうと結論されている。
さて、私の「波波迦の材質が堅いことから、波波迦は小枝の先端を燃やして火を作って直接に甲羅に押し当ててヒビを入れる*1用途と考えられる。にもかかわらず、甲羅全体を焼く大嘗祭の亀卜で波波迦が使用されているのは何故か?」という質問への大江先生の回答は、
波波迦は『点灼』で使用するのが本来の用途*2だと考えられるが、波波迦は鹿卜・亀卜で使用する熱源としての伝統があり、大嘗祭の亀卜もその伝統の上にたって波波迦を使用したのであろう。
ということだった。
なお、出土する弥生時代の鹿卜で使用された鹿の肩甲骨は、加工の状態が『神伝鹿卜秘事記』に記された鹿の肩甲骨の加工の状態と全く異なっていた。『神伝鹿卜秘事記』では対馬の亀卜が関東に伝わって鹿卜となったとしているので、『神伝鹿卜秘事記』の鹿卜は弥生の鹿卜が受け継がれたものではなくて、些か新しいのではないかという疑問を持ったのだが、大江先生によると鹿卜の伝統が断絶したために江戸時代に国学者達による研究もあったが、今のところ軽々な判断はできないとのことだった。
解りやすくためになる講義だった。大江先生、ありがとうございました。
(やっと9月中にエントリをあげることができた。)