平安京の龍穴

今から30年前

今から30年前に『NHK SPECIAL「よみがえる平安京」~荒俣宏が探る1200年の謎~』が放送された。

この番組では香港から風水師の劉啓治公を招聘して平安京創建当時の風水を探らせていた。劉啓治公は以下の3点を指摘したと記憶している。

船岡山から神泉苑まで歩くと小一時間かかると Google 先生が教えてくれた。

船岡山には建勲神社たけいさおじんじゃがあり、織田信長主祭神だったりする。小高い丘で近くの人にとっては運動を兼ねた散歩コースのようだ。今でも京都の街並みが一望できる。


建勲神社の境内摂社に妙見様があるので挨拶しておきたかったのだけれども、参道が閉じられていたので横手からの挨拶になってしまった。

ここから南に進むと船岡山の真南の感じで平安京大極殿跡がある。千本丸太町交差点の少し北西に小さな公園があって、そこにでかい『大極殿遺趾』の石碑が立っている。

巨椋池の埋立で京都の風水は破壊されているので、なんらかの方法で『大極殿遺趾』の石碑の場所に家を構えた所で、今はもう何も好いことが無いだろう。

そこから更に南下して二条城の辺りで東に折れると神泉苑がある。

今でも大きな池があり龍神が祀られていたりする。昔は雨ごいの場所でもあったらしい。慶長七年に徳川家康が二条城を造営した時には、神泉苑の敷地を削って二条城に取り込んだので神泉苑は相当に縮小させられたそうだ。

巨椋池の埋立に着手した豊臣秀吉といい神泉苑を削った徳川家康といい、戦国以降の武家によって京都の風水が破壊されているわけで、何か京都を二度と政治経済の中心地にしないという意思でもあったんじゃないかと邪推させてくれる。