京都行

京都行決定

11月30日に京都丸善の本店で、斎藤英喜先生鈴木耕太郎先生の師弟対談によるトークショーが開かれるということで、帰宅をその辺りの合わせて出席することにした。テーマは御二人の著作*1の出版のPRを兼ねて牛頭天王信仰について語るということで、非常にそそるものがあったわけだ。祖父が牛頭天王を祀った天王社の御守りをしていた、ということもある。

ただ開始時刻が14時ということで、実家から京都に行くということを考えると前乗りすることになってしまう。そこで以前から京都で行ってみたかった所に行ってみることにした。行きたかった所は2+1ヶ所で、

京都に到着するのが15:30くらいなので、最近の日没の早さを考えると前日に全ては無理かもしれないが、行けるだけ行ってみて感触をつかんでから明日回しと決定した。

11月29日

まずは晴明公墓所。略决の解説本である『安倍晴明「占事略决」詳解』を上梓した以上、当然の訪問先になる。日没には間に合った。晴明公墓所は、嵯峨野の角倉稲荷の裏手にある。

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晴明公墓所

暗くなり始めているので急いで大極殿跡に向かう。JR二条駅から歩いたのだけど、結構遠かった。たどり着いた時は日が暮れていた。大極殿跡というのは平安京の本来の大極殿があった所で、平安京の龍穴がある所だ。もっともこの龍穴は、平安京巨椋池という『水』を無くした結果、枯れてしまったので役にたたない。大極殿跡は公園になっていた。正式には平安宮朝堂院大極殿跡という。

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平安宮朝堂院大極殿

ついで二条駅から地下鉄で四条駅に行き亀屋清永本店を目指した。これも遠かった。着いた時には閉店時刻を回っていたので、明日に再訪ということにした。宿に行く時に京阪電車祇園四条駅の方が圧倒的に近いことが判ったので、明日は京阪電車を使うことにした。

祇園さんは目と鼻の先なので、当然御参りをしてから宿に向かった。

11月30日

京阪電車祇園四条に行き亀屋清永本店を目指す。さすがに人が多い。何か目的でもないと秋の京都はちょっとしんどい*2。お目当ては『清浄歓喜団』という独特のフォルムを持つ揚げた御菓子だ。好みは別れると思うけれども、シナモンがよく効いた皮で餡を包んで、おそらくはゴマ油で揚げてある。私は美味しく感じた。中の餡は多分、日本に伝わった時とは異なっているだろう。今は小豆餡になっている。

で、本番のトークショーだが立ち見でもと思いながらも、念のためカウンターで聞いてみたところキャンセルが出たとのことで非常にラッキーだった。
トークショーは聞いてて楽しく非常に参考になった。斎藤先生から質問の時間を取るからドンドン質問してくれということだったので、調子込んで*32つ程質問させて頂いた。

  • 斎藤先生によれば牛頭天王信仰に民間陰陽師が関わっているとのことだが、その民間陰陽師に暦を提供した存在があったはずで、それを鈴木先生は非官人陰陽師とよんでいるけれども、その非官人陰陽師とはどういった存在なのか?
  • 私の祖父は石鎚の修験者で天王社を御祀りしていたが、牛頭天王信仰の広まりには修験の存在は無視できないのではないか?

に対して以下の回答を頂いた。

  • 朝廷の陰陽道の技術が民間に漏れて行くルートは複数あった。例えば鎌倉に下向していた官人陰陽師から幕府関係者に漏れて行くルート等だ。しかし民間陰陽師の全体像はまだ掴み切れていない。
  • 修験が牛頭天王信仰の布教の一翼を担ったのは確実だが、そもそも修験についての研究がまだまだこれからである。

ということで、両先生の今後の研究には注目したい、どんどん面白くなってきそうだ。

トークショーの後にサイン会があったので持参した二冊*4にサインして頂いた。少し時間があったので、斎藤先生に泰山府君祭について質問してみた。

  • 斎藤先生によれば硯と筆が泰山府君祭のマストアイテムだが、泣不動縁起の泰山府君祭とされている場面には硯も筆も出てこない。斎藤先生の見解を聞かせて頂けないか。

に対して、

  • 泣不動縁起は仏教の強い影響下で成立したもので、泣不動縁起の絵は本来の陰陽道の祭式から変質してしまったものを描いたのだろう。

との回答を頂くことができた。

京都行の目的を全て達成することができ非常にラッキーだった。

*1:増補 いざなぎ流 祭文と儀礼』と『牛頭天王信仰の中世

*2:着物姿の人も多い。着物の貸し出しをしている店が幾つもあるようだ。

*3:やり過ぎてなければよいがと、終わってから心配した。

*4:丸善さん御免なさい。Amazonで買いました。