貞享改暦の周辺で

大経師昔暦

貞享改暦に先立つこと2年、京都の大経師家で妻の「さん」と手代の「茂兵衛」による不義密通事件が発生した。大経師家は暦の発行権を有する歴史のある家で、「さん」と手代の「茂兵衛」は磔になり、2人の間の手引きをした「たま」も獄門という重い処罰が下された。

この事件は歴史のある家の大スキャンダルで、戯作者に格好のネタを提供することになった。
井原西鶴は『中段に見る暦屋物語』を書いて『好色五人女』の巻三に収録し、近松門左衛門は『大経師昔暦*1』という人形浄瑠璃の脚本を書いた。

この事件は貞享改暦の前夜と言っていい時期に発生しており、当時の暦は800年宣明暦を使い続けたせいで日付が2日朔望に先んじていたという。井原西鶴近松門左衛門が「暦屋で起こった事件である」ことを強調したタイトルを付けているのは、ひょっとすると「暦が乱れているから下々の人間関係も乱れるんだ」という意識があったのかもしれない。

なんで大経師家のスキャンダルと貞享改暦が私の中で結びついたかというと、貞享改暦は綱吉の時代だったということで井沢元彦の『芭蕉魔星陣』を思い出したからだ。『芭蕉魔星陣』では主人公2人が心中しそこなって時の狭間みたいな所に落ちるのだけど、そこには「おさん」と「茂兵衛」という先客がいた。「この先客2名は既に死亡しているので蘇ることはできないが、お前たちは蘇るチャンスがある」という声に従って忍者でもある芭蕉に導かれながら、綱吉に乗り移った壬申の乱の敗者である怨魔皇帝を封じるために頑張るというのが『芭蕉魔星陣』のストーリーだ。割と面白いけど設定のネタとかは呉座先生辺りから一蹴されてしまいそうな感じがする。

なおこの「おさん茂兵衛」事件には大経師である浜岡家が、貞享改暦に際して他家との紛争があったり独占発行権を入手しようと画策して京都所司代から咎められるなどしたことが祟って浜岡家が断絶することになったという後日談まである。

*1:だいきょうじむかしごよみ