破軍星絡みで

六壬式盤の天盤中央には北斗七星が描かれている。


Wikimediaから引用

右のWikimediaから引用した式盤の図は、が氏となっていることが物議をかもしたらしい*1。個人的には地盤の子が上になっているのには強い違和感がある。

そして、北斗七星の剣先は天罡である辰を指すように描かれている。天罡は秋分点から始まる天秤宮と対応している。つまり北斗七星の剣先は秋分点を指しているわけだ。当然のように剣先の反対側の魁星は春分点である河魁を指すことになる。天罡は破軍星の別名なので、天罡の名も破軍星が指すところから来たのだろう。つまり古くは破軍星は秋分点を指すものだという認識があったと推測できる。

ところが『破軍星の繰り方』では破軍星が大衝を指していることになっている。これはどういうことなのだろう?秋分点が心宿にあった時代の名残であるというのが、可能性の一つとして考えられる。心宿は西洋でいうところのサソリ座の胴体部分に当たり、アンタレスを中心としている。

Wikipediaによると、心宿は春を告げる星座であったそうだ。現代ではサソリ座は夏の星座の代表なわけで、心宿が春の始めの星座であるということは、心宿を含むサソリ座の反対側である牡牛座に春分点があったということになる。

六壬神課では昴星法において昴が金牛宮であることがしめされていて、2000年くらい前の天文情報が残っているけれども、『破軍星の繰り方』つまり奇門遁甲の天馬太冲には、もっとそれ以前の星空の記憶が封じ込められていることになる。

*1:2016/03/12追記 先程1024×1024版で確認したら、ちゃんとだった。