イケメン来たぁ〜

と、思ったら顔出ししてなかった、残念。ただものすごく濃い対談なのは保証する。占いってなんなんだとか考えたことのある人は必見だと思う。

第040回『隈本健一の占い夜話』佐藤壮朗先生①


第041回『隈本健一の占い夜話』佐藤壮朗先生②


第042回『隈本健一の占い夜話』佐藤壮朗先生③

玄珠さんも先代の銭天牛先生の本から始まったわけで、銭天牛先生の本の影響の大きさを感じる*1。でも玄珠さんも不思議なことが好きな子供だったんだ。『万馬券数霊異端術』が競馬を扱っていたのは編集から「競馬の本を書いてくれ」と依頼されたからだったというのはちょっと笑えた。

『大岳易』って定義するのはちょっと難しいようだ。「オレが気にいった易が大岳易なんだ」と言わんばかりの論を見かけないわけでもない。『占的』が加藤大岳によって作られた言葉だったというのは知らなかった。『占題』から『占的』を絞り込んで、的を射るように卦を出して誰もが納得できるような解釈をだす。絞り込みには『筮前の審事』が必要で、誰もが納得できるような解釈のためには『筮後の審事』が必要になる。

大岳易の芯の部分を作り上げた加藤大岳は、的に卦をねじ込むことが可能なデモーニッシュな能力者だったというわけで、やっぱりもの凄い人だったんだ。凡人はこうはいかなくて、そこまで的を絞り込むことはできない。ただ的を絞り込むことができないからといって“Be Natural”の境地に立つのも何度も悩んで、当ててやろうとかいった変なリキミを取って行くしかなくて簡単な話ではないわけだ。そして『神力』と『自力』が自然とバランスするようになるまでは、バランスさせるのがものすごく難しい。

しかしその加藤大岳ですら時代の制約下にあったんだなぁ。

占いが当たるの何故か。実は人間は判ってるんだけど、通常の人間は“Be Natural”ができないでないので間違った答えに辿り着いてしまうだけだ。占術は人間を“Be Natural”の状態に近づける道具なんだ、というのは玄珠さんの昔からの主張。割と同意なんだけど、実は時間そのものに何か秘密があるのでは?という感覚もある。

*1:私は未見なんだけど。