西洋占星術のハウスとか紫微斗数の十二宮を『ジョハリの窓』で分類したエントリとか、それについて補足したエントリから導かれるように、結局のところ人間て多面的な存在だということだ。
何か上手い方法があって、それを使うと人間の性格を何種類かに分類できると仮定する。しかし人間の多面性から、人間が持つ全ての面を全て取り上げれば、分類した全ての性格が含まれていることになるだろう。そういう性格分類には意味が無いのは明らかだ。だから占ってあなたの性格当てました、っていうのには意味がないと思う*1。占って性格当てましたと威張りたければ、最低でも「これこれの局面でのあなたはこういう人です」まで言ってあげないとだめだろう。
マンガ家の山本貴嗣が、「創作に人生勉強は必要か」という問に対して真摯に呟いたマトメに以下のような呟きがある。
続き)一生の課題だと思っています。そしてもう一つ大事なことは自己分析。人の心を理解するには自分の心を理解しないと始まりません。どんな悪人も善人も自分の中にある。あいつはオレとは関係ないと思っている限り人間は描けない。「さげすむな、あれも自分、ひがむな、あれも自分」がモットーです。
自分の中には周囲の人間全ての性格が含まれているというわけだ。
自分 | |||
知 | 不知 | ||
他 人 |
知 | 解放の窓 |
盲点の窓 |
不 知 |
秘密の窓 |
未知の窓 |
ところで『ジョハリの窓』は、元々はコミュニケーションを円滑に進めるためのもので*2、窓枠は固定されたものではなくて、盲点の窓や秘密の窓を小さくすることができれば、未知の窓も自然と小さくなって行くことになる。それは未知の窓の存在に気付いてフィードバックしたり、あるいは開示することでもある。未知の窓が小さくなることは、対人関係を円滑にすることであり、メンタルの健康に寄与することでもある。こういった点でも、十二宮をジョハリの窓で分類することには意味があるだろう。
*1:ということで血液型性格分類って本当に意味がないと思う。元々、赤血球の血液型に性格との強い相関なんてないし。
*2:ジョハリの窓 - Wikipediaによる。