太白陰経についての論文

Wikipedia太白陰経をめぐっては、以下のように色々あったわけだ。

こちらの主張は、

  • 遁甲巻における『徴明』の使用
  • 『夜半』といった十二時辰による時刻の表記法

から、太白陰経は遁甲巻を含めて唐代の李筌によって記述されたものと一貫して主張している。そして上記2点について有効な反論はなかったと理解している。

ところで『太白陰経』で検索していたら、以下の論文が見つかった。

著者は大阪大学大学院の湯浅先生で、専攻は異なるが私の母校の教官だ。論文はPDFで公開されているので、誰でもダウンロードして読むことができる。私も早速ダウンロードした。

上記論文では、明らかに合理主義者であった李筌の兵書において、方術に関連した九巻(全体が奇門遁甲にあてられている)や十巻(玄女式つまり六壬の解説が含まれている)で解説されている『兵陰陽』は、どのように位置付けられるのかが、後世に付加されたものの可能性を含めて考察されている。湯浅先生の結論は、

  • 遁甲巻を含めて李筌の合理主義とは矛盾しない。
  • オリジナルの段階で九巻、十巻は存在した。
  • 『兵陰陽』が全くの迷信であっても、それを信じる人間がいる以上、それを利用することが李筌の合理主義だった。

であったというのが私の理解だ。

ということで奇門遁甲の文献上、太白陰経の遁甲巻が現段階で最古と考えて良いだろう。最近、方術関連の文献がまともな論文で取り上げられるようになってきていて面白い。