安倍晴明公所縁の地

といったらどこを思い浮かべるだろう?晴明神社という答えが多そうな気がする。最近、ふとしたことから晴明公と関係の深そうな御寺の存在を知った。実は数ヶ月前に、鮑黎明先生から「晴明公の画像を入手したのだが、自分が持っているよりも北斗柄さんに相応しいと思う。もらってくれないか。」という御連絡を頂いた。分不相応という気がしないでもなかったが、せっかくの御話なのでありがたく頂戴することにした。

頂戴した晴明公は、衣冠束帯の姿で錦の縁取りの畳に座られた坐像であり、よく知られた−多分、烏帽子なんだろうけど−と思う姿の画像とはかなり異なる趣で、しかも肩書きが『律学博士』となっていた。『律学博士』は後に『明経博士』に名称が変更されている。Wikipedia-明経道によると、明経道(みょうぎょうどう)は、日本律令制の大学寮において儒学を研究・教授した学科であり、三経(詩経書経易経)、三礼(周礼・儀礼礼記)、三伝(春秋左氏伝・春秋公羊伝・春秋穀梁伝)及び『論語』『孝経』の11経を主な教材としていたらしい。

なので晴明公の肩書きを『律学博士』とするのは誤りと推測できるが、何故そうなったのかという疑問が残る。ということもあって、頂戴した晴明公の画像の由来を知りたく思っていたのだが、陰陽道家の高橋圭也さんと知り合うことが出来たのを幸い、画像を写メって何か御存知ないですかと聞いてみた。そしたらさすがに餅は餅屋、一発で回答が返ってきた。件の画像は、安倍文殊院が江戸時代に発行した御札にあった絵が元になっていたのだった。

それで、安倍文殊院についてちょっと調べてみたところ、安倍文殊院は晴明公と縁の深そうな御寺で、晴明公がこの地で陰陽道を学んだとの伝承が残っていた。その関係で寺内に晴明堂があったり*1、また晴明公が天文観測を行ったとされる場所も残っていた。高橋圭也さんによれば、五芒星の晴明桔梗は本来の陰陽道にはないものだそうだ。五芒星の紋章は、修験道から取り入れられたか、天文観測を行った地に付けられた地図記号としての五芒星が、天文博士であった晴明公の紋章として取り入れられたものではないかというのが、高橋さんの仮説だ。そういう点で、晴明公と五芒星の結びつく場所として、文殊院は相応しいように思う。

文殊院は奈良の桜井にあるそうなので、そのうち行ってみたい*2

*1:近年、建造されたものだけど。

*2:が、どうなることやら。