占いは当て物じゃない

これはヘボな占い師が好く言う台詞の中でも代表的なものだろう。後ろに「深遠な学問だ」とかがくっつくことも好くある。私の術友には「占いは当ててなんぼのものだ」という人の方が多い。この辺りの話は鎗田先生がそのエッセイの中で何度か触れている。例えばこのエッセイの3番の『「術数」は“技術”です。』にはこうある。

よく、「占いは当てモノではない。深遠な哲学であり、学問だ。」という方がいます。ですが、私はそうは思いません。

医者は患者さんの病気を診断して治療してなんぼのモノです。それすら出来ない医者が「学問だ」というのが許されないのと同じく、当たらない術者が「学問だ」と言っても説得力はありません。

他にもこのエッセイの72番の『術者の覚悟』には、

たとえば『九星日盤鑑定要法』の著者・斎藤擁道先生の取り組み方は、御著書を読む限り「占い術は当たってなんぼ」である。昔の術者というのは、そう考えている人がいまよりも遙かに多かったようだ。私もそうありたいと思っている一人だ。

考えてもみたまえ。武道でたとえれば、真剣勝負で斬り殺されて、路上の喧嘩で叩きのめされて、「武道は喧嘩の道具ではない」と言い張るならば、負け犬の遠吠えにも劣る。それならなんの為の武道なのか。護身術にもならないじゃないか。 

鎗田先生のこういった考えには全面的に同意する。当て物以上を求めるなら、まずは当てるようになってからだろう。

ところで今のに日本には「血液型性格診断」という占いもどきが蔓延しているが、科学的にみて赤血球のABOの血液型と性格分類には強い相関は全く無いことがはっきりしている。つまりABOの血液型では性格を当てることはできないわけだ。しかしこれを使って「あの人はB型だから」とかと他人を差別する人間は後を絶たない。

で、こういった「血液型性格診断」について、

血液型人間学というのは哲学であって、「占い」とかのチンケなもんでもないのですよ。

とのたまう御仁がいるわけだ。「占い」に謝れと言いたいよね。それとこの言い方、ヘボな占い師の言い訳とクリソで笑った。まあ「血液型性格診断」なんぞよりは、私が作った自動の紫微斗数の方が当たるし詳しい結果を出すと思うけどねぇ。