命宮ってなんでしょう

七政四餘における命宮は西洋占星術の上昇宮(Ascendant)だというのは、以前からこの日記を読んでいる人なら御存知だろう。一度、命宮算出というエントリをあげたこともある。

さて、ageUNで連載されている、黄老師のちょっと辛口アジアンコラムの連載だが、「七政四余2(2)」において、命宮が上昇宮であることには一切触れていないまま、命宮についての解説が行われている。

こんな感じである。

「1.寅宮を正月にして、時計回りに出生月まで数える。
 2.次に、生月の場所から反時計回りに出生時刻を数えた所が命宮」

しかしながら七政四余における十二支は、西洋占星術のサインに直接対応している月将系の十二支であり、月建系と月将系では同じ十二支であっても意味合いが異なっていることを知っているなら、当然、以下のような説明になるはずだ。

時支の上に月将の十二支を置き、卯になるまで順に十二支を進める。卯が地平線であり、そこの十二支が上昇宮である命宮。

詳しくは、命宮算出の説明を見て欲しいが、子平の命宮も月将を使用しており、七政四余の命宮と全く同じなのは、黄先生がいわれる通りだ。しかしながら紫微斗数の十二支は、太陰太陽暦の月の進行と同じ順序に従う月建系の十二支であり、同じ十二支であっても、役割や系統が全く異なっている。

従って命宮の算出方法や、それに続く十二宮の配置が異なっていることは、私にとっては当然の事と考えられる。

ところが黄先生は、

しかし方法が違ったとしても、結論としての「命宮」は一つであるべきです。何種類も命宮が出現してはおかしいのです。

と主張されている。しかし同じ月将系の十二支を使用する六壬推命においてさえ、六壬尋源では天盤年支をもって命宮を取っている。別に命宮が他の術と異なっているからといって、その術が「誤りを含んでいる」とはとてもいえないだろう。

また紫微斗数の命宮は、生月支を出発点として生時まで逆に数えて命宮を出すわけだが、これは、七政四餘の命宮が時刻とともに逆に進んでいくことを踏襲していると考えて良いだろう。使用する十二支に月将系から月建系への大きな変遷があったものの、紫微斗数の命宮は七政四餘の命宮からそんなに遠く隔たったものでもない。

この月将系から月建系への変化は、中国でどちらかといえば馴染みの薄い月将系の十二支よりも、馴染みがあって神殺等の蓄積の多い月建系の十二支を使用したいという志向が、その創始にあたっての強い動機となっていたのではないだろうか。紫微斗数は月建系の十二支を使用することで、天文暦を必要とせず、また、長い中国の方術の歴史の遺産を継承することができたといえるだろう。

にも関わらず黄先生はこう書かれている。

冒頭で述べたような、天の諸星と人間との感応に基づいて運命が生じる、とする考えで言えば「紫微斗数」はいくつもの誤りを含んでいると言わざるを得ないのです。

月将系の十二支ではなく、月建系の十二支を使用することが、いくつも誤りを含んでいたら、四柱推命だって命宮を除く十二支は全て月建系の十二支なわけで、黄先生は四柱推命もまた「いくつもの誤りを含んでいる」と主張されるのだろうか。