付言(3月8日)

先のageUNからの引用には次の記述が続いている。

 結局、紫微斗数では「閏月生まれの人」に対して、三種類の方法でとりあえず解決させています。(一)前月に帰す方法。(二)次月に帰す方法。(三)月の前半生まれなら前月、後半なら次月に帰す方法です。しかし、よく考えてみてください。地球は一分一秒も休むことなく黄道を回り続けているのです。どうして突然戻ったりしなければいけないのでしょうか。既に天理に反していることになります。

このような対処の方法がある以上、紫微斗数は黄先生のいう「紫微斗数がベースにしているのは太陰太陽暦ではなく純粋な太陰暦である」という指摘は事実と異なっており、太陰太陽暦を使用して占っていることになる。

また、

 結論として、紫微斗数は本来「太陰暦」で出来ているので、もともと「閏月」を論じる必要が無いのです。また、『紫微斗数総訣』に「希夷、天上の星を仰ぎ観て、斗数を作り為して人命を推す。『五星要過節』に依らず、只『年月日時生』を論ず」とあります。これは、星学が用いる節気で年月を区切る方法(太陰太陽暦・閏月あり)を使わないで、ただ出生年月日時(太陰暦・閏月なし)を使いなさい、と言っている
のです。

という記述が続き、まるでオリジナルな紫微斗数が採用していたのが太陰暦であって太陰太陽暦ではなかったかのような記述となっているが、紫微斗数には十干化曜星やその他の年干から算出する星がある。この場合、年の干支を特定する必要があるが、純粋な太陰暦を使用すると数年で年すらずれて行くため、太陰太陽暦の年干支と整合性を取ることができなくなる。年干支が他の暦と一致しないような暦に基づく占術が受け入れられるとは考えにくい。こういった事柄を黄先生が全く無視されているのは奇妙というしかない。

それと紫微斗数が作られたのが、伝説通り宋代であろうが黄先生が言われているように明代末期であろうが、中国では太陰太陽暦が使用されるようになってから長い時代を経ており、紫微斗数においても太陰太陽暦が使用されていたと考える方が自然であろう。「『五星要過節』に依らず、只『年月日時生』を論ずという記述にしたところで、太陰太陽暦であろうが太陰暦であろうが月が節月とずれていることには変わりが無く、紫微斗数のオリジンにおいて太陰暦が使用されていたとはいえないであろう。