謹賀新年

年が明けてしまった。儀礼上「おめでとうございます。」とは言ってるけど、そんなにめでたい年明けではない*1。なんでかというと、多くのことが積み残したままになっているからだ。10月以降は本当にメタメタなまま年末を迎えて、そのまま年が明けてしまった。やっぱり五黄殺で大規模な造作が*2あった影響だろうか。

それでも年末に駆け込むように2人の知り合いが*3できて、メールのやり取りをしている。特に、私の作った自動の斗数にあった間違いを指摘してくれたtukiさんとは、かなり濃い内容のやり取りしている。お陰で重要な視点に気が付くことができた。

これまで西洋占星術六壬の関係を考える中で、占星術の基本構造に「地上−ハウス−サイン−天上」の構造があるといってきた。しかしこの地上と天上は視点でもあることがtukiさんの指摘ではっきりした。しかし「月将の配置が通常の十二支と逆になっているのは天上から見下ろす視点に立っているからだ」といった説明になれているはずの六壬者がこの視点の上下に気付いていなかったというのは迂闊というしかない。

同じ円環に配置された12の区分を、を地上から見上げている場合と天上から見下ろしている場合は、その回り方が逆になるのは当然のことなわけで、これを理解すれば占星術においてもサインとハウス、ハウスとサインを自由に行き来することができるようになる。

さて六壬にある指斗法だが、これは秋分点を使って様々な事柄を判断する技法である。しかし実は春分点を天から見下ろした視点が基になっていて、それが下から見上げれば左右が逆になっているだけなのかもしれない。となると指斗法における地盤は、地盤であっても天盤=サインとして見るべきという可能性がある。指斗法の起源はかなりさかのぼることが可能で太白陰経にも出てくる。以下は、太白陰経巻十雑式の玄女式からの引用である。

推神在内外法
斗加孟神在内、道路壅塞出軍凶。
斗加季神在外、出師吉。
斗加仲神在門、或戰勝密謀。

指斗法の待人占が、この「推神在内外法」を直接の起源としているであろうことはほぼ間違いない。指斗法の待人占では、通常の六壬天地盤を作って天剛(辰)の地盤が、

  • 孟支(寅巳申亥)なら待っている人は家を出てない。
  • 仲支(子卯午酉)なら待っている人は家を出たところ。
  • 季支(丑辰未戌)なら待っている人は家を出ていてすぐくる。

と判断する。孟仲季と内門外の対応は一致している。

しかし中国占術になれた人なら、この判断法は変だと思うだろう。孟支は活動的なのですぐ来るに孟支が対応していて良いはずだ、と。しかし、これが通常の地盤十二支ではなく天盤=サインなら話は変わってくる。

つまり戌=河魁=白羊宮であり、丑辰未戌は全て活動宮、子卯午酉は固定宮、寅巳申亥は柔軟(変動)宮となる。寅巳申亥は不安定なためにまだ門を出ていない、丑辰未戌は活動宮でもう門を出た、子卯午酉はこれら2つの中間で門にいると考えれば、指斗法の待人占とぴったり符合する。

視点の上下は古六壬の技法を解釈する上で、非常に重要な視座であろう。古典占星術にも似たような状況があるかもしれない。

*1:もっとも私にとっての本来の年明けは立春だけど。

*2:しかも五黄殺の酉は私の本命だ。

*3:ネット上だけど。