たまには書評でも

黒門さんの「チベット占星術序説」が昨年11月に刊行された。内容について私も少し貢献することができたこともあって恵贈本を頂いた。

労作である。タイトル通りの内容で、本来ならじっくりと個々の術についての詳説が出るのを待つべきだろうが、待てない人は本書をガイドブックに自分で調べることだ*1。そのための手がかりは充分にそろっているだろう。黒門さん自身、本書についてこう語っている。

(序文)
そういう意味では、ここで私のようなチベット学の門外漢であっても、チベット占術を日本に紹介する本を出すことは、それなりに意義があるものと考えるようになりました。本書を世に出すことで、チベット占術により精通した方々の手によって、より正確で内容が整った本が世に出るきっかけとなればと願っております。

ということで、本書は「序説」であって「詳説」ではない。そして「序説」として充分な内容を持っている。

本書を読むとチベットはある意味占術の坩堝であることがわかる。中国の干支、五行、紫白星に起源を持つであろう各要素とインドから入って来たであろう占星術が溶け合った占術が構築されていて非常に興味深い。

さて私は暦の計算で貢献できたのだがその体験から言うと、チベットの暦は暦の作成を複雑にしても良いから、天体の運行をシンプルにしたいという執念のようなものを感じている。つまり閏月が入ることがあるにしても1年=12朔望月=360日のシステムを可能な限り維持しようとし、このシステムを維持するためなら、月や日がダブったり欠けたりしても良いとしている。この執念は矢野先生の「占星術師たちのインド」を読んだ限りではインド起源のようだが、中国占術に慣れ親しんだ人間としては「それってやり過ぎじゃない?」という感覚を持つ。

中国の天文学では全天の角度は360度ではなく、365.2422度と地球の1公転の日数の角度になっている。なんというか中国の暦法は「1日は1日で毎日来るもんだろ」という現実主義みたいなもので貫かれている。そしてそこから出発して様々なものを日単位で管理するために閏を置いて季節や年と摺り合わせるというシステムになっている。

しかし1年=12朔望月=360日のシステムを採用することで○月○日の紫白星が、完全に決まってしまうところに魅力を感じる人もいるだろう。本書を手に取った人からチベット占術を追求しようという人が1人でも2人でも出れば、黒門さんも骨を折ったかいがあるというものだ。

なお本書はAmazonで長らく品切れで、ユーズドの方が値段が高かったが、どうも増刷になったらしい*2。興味のある人は早い者勝ちだ。

*1:2chでクダクダ言ってないでさ。これとかこれとかスレタイからして無茶苦茶だよね。

*2:私の名前の誤植も直っているといいのだが。