どうも Christian Astorology がトラウマな人もいるらしい。

mixi に入ってとあるコミュニティに「Christian Astorology のハウスの章を訳してみました。間違い指摘してくれると嬉しいです。」と書いたらこの騒ぎだ。2日で200以上回ったんじゃないだろうか。あれだけ回っていたのにピタっと止まったことを考えるとほとんどが>>1の自作自演なんだろうと推測できる。

Christian Astorology の存在自体がトラウマになっていたりするのだろうか。原因はやっぱりこの辺とかこの辺とかこの辺とかこの辺なんだろうか。Christian Astorology が歴史的に見ても非常に重要な文献なのは間違いないだろう。これはモダンを標榜する人達にとっても同様だろう。日本でボランタリーベースの和訳のプロジェクトが立ち上がっていないのが不思議なくらいだ。