伝劉伯温の焼餅歌とか、後鳥羽上皇主催の射覆大会とかの話を読むと、どうも昔は射覆への要求水準は低かったんじゃないかと思うようになった。
つまり焼餅歌における劉伯温の解答は、箇条書きにすると
- それは太陽のように丸いが月のように欠けてもいる。
- それが欠けているのは金龍に齧られたからだ。
- それは食べ物である。
といっているだけで*1、「皇帝が齧った食いかけの焼餅」といったわけじゃない。
後鳥羽上皇主催の射覆大会でも、当りの栄誉に浴した安倍晴光は、
- それは水器です。
- それは光沢があります。
- 亀の形をしています。
と解答したが、「亀形の硯」と解答したわけじゃない。
こういう解答で当りにしてもらえるなら、大石さんが昔ビデオカメラの前で四苦八苦した射覆も2問中2問正解だったはずだ。大石さんは2問中最初の問題を外したわけだが、最初の問題である「キリン」に対して、大石さんは動物ってヒントから
- 馬に似てる。
- 背が高い。
- マダラだ。
といってたわけで*2、「其姿似馬。背高、有斑。」とでも解答しておけば、昔なら「果然」といわれたんじゃないだろうか。別にそのものを直接さす言葉でなくてもいいから、性質を列挙した解答も解答としますと認めれば、射覆ももっと気楽にやれるように思う。