神宮館から出ている「天保新選 永代大雑書萬暦大成」には、勝負事に勝つ法として、破軍星の方位を算出して、その方位を後ろにして戦え*1というものが解説されている。破軍星は、北斗七星の柄の先端のことで、天罡の名を持っている。
その方位の算出方法については「四つ時去りて月の数」という口訣が伝わっている。つまり正月(寅月のこと)の子刻においては、子、丑、寅、卯と子から四つ進めた後、正月なので更に1進めた辰が破軍星の方位ということになる。
玄珠さんの考察によれば、これは中国の戦国時代*2における天体位置を正しく反映していているそうだ。現代では歳差運動の影響で春分点や天の赤道が移動しており、およそ30度くらいずれている。
さて北斗七星といえば六壬の出番で、現存する六壬の式盤の多くは天盤中央に北斗七星が描かれている。現代では歳差運動の影響で、月建と月将の切り替る時刻が異なっているが、古くは同じ時に切り替るものとされていた。正月の月将は亥なので、亥を子の上において天地盤を作成すると、天盤卯(太衝)の下が辰である。実は破軍星の繰り方の口訣と、六壬の天地盤で天盤卯下の十二支を求めることは全く同じ作業になる。
この太衝の方位を使えというのは、実は奇門遁甲の天馬*3の考え方と一致している。破軍星の繰り方もそんなにバカにしたものではないようだ。
なお、経穴(ツボ)にも太衝の名を持つものがあり、なにか関連しているかもしれない。