皇極経世の時間体系
皇極経世書では長大な時間から短い時間まで、システマティックに干支が割り付けられている。こんな感じだ。
始まりの干支 | 時間 | ||
---|---|---|---|
元 | 甲子 元 | 12会 | 129,600年 |
会 | 丙寅 会 | 30運 | 10,800年 |
運 | 甲子 運 | 12世 | 360年 |
世 | 甲子 世 | 30年 | 30年 |
年 | 甲子 年 | 12月 | 12月 |
月 | 丙寅 月 | 30日 | 30日 |
日 | 甲子 日 | 12時 | 24 hour |
時 | 甲子 時 | 30分 | 2 hour |
分 | 甲子 分 | 12秒 | 4 min |
秒 | 丙寅 秒 | 20 sec |
12と30が綺麗に交互に並んでいる*1。1世が30年なのは多分だけど、土星の公転周期がおよそ30年から来ているのだろう。
会が丙寅会から、月が丙寅月から始まるなら、順番からいって秒も丙寅秒から始まることになる。つまり年が寅月から始まるように分も寅秒から始まることになる。子秒、丑秒は前の分というわけだ。秒が20 secだから子秒の後半の10 secと丑秒の20 secを合わせた30 secの間は分が進まないことになるし、時も進まないということになる。
現代の感覚では30 secって割と長いよね。
『夢渓筆談』が来た
『夢渓筆談』が届いたので読み進めている。月将についての沈括の考えは文庫の1巻の象数(一)にあった。内容的には予想とちょっと違っていた。沈括の解説をまとめると、
- 合月つまり月建と支合する十二支をもって月将とする。
- 太陽過宮(言ってみればサン・サイン)を月将とする。
今の時代(北宋の時代)では、上の二つは異なっているように捉えられているが、元をたどれば上の二つは同じことを言っている。歳差運動のせいでずれただけだ。六壬やるなら原義にもどって太陽過宮を使いなさい。
こんな感じだ。しかし夢渓筆談の象数の辺りの暦法の話を読んでいると、沈括の「お前、判ってるよな」という声が聞こえてくるような気がする。沈括とか蘇軾とか発達障害を抱えていたのではないだろうか。まあ人間関係は別にして、北宋の神宗の時代って王安石、司馬光、柳宗元、蘇軾、沈括とか錚々たる面々がそろっているのに、これらの有能な人達が本来のパワーを発揮できないまま政治が混乱して行く感じだ。まさしく老子が言う、
国家混乱、有忠臣。
を地で行ってる感じがする。
*1:現実はこんなに綺麗じゃなくて1月は日数にして端数が出る。端数を出さないようにするにはインドのティティみたいなものが必要になる。