言及するならするで

ちょっと好かん

ちゃんと言及して欲しいよね、と思った。以前の『月建と月将』のエントリで、

なお先に出てきた十二支も西洋由来とする説を唱えた人は、別の所で古代の占術では『日干を本人とする』と言っていたけれども、五行大義以前では年干が本人だったなんて知らないんだろうな。

と、書いておいたのだけれども、その『別の所』に追記があった。

なお中国占術の専門的な研究をされている方によれば、「『五行大義』より以前は年干が本人だった」そうです。なるほど存じませんでした。しかし「以前」と言っても、その時点より少し遡るだけで年干を本人として見る手法しかなかった、とは考えにくいと思います。

『と思います』ということで、単にサイトの主さんの想像ですよね。古代において推命の対象となったのは皇帝とかだったわけで、年干を本人とすることで正しかったのですよ。日干を本人とするというのは、ある程度『個人』というものが確立されつつあった宋の時代の徐子平による改革以降であったというのは、推命に関わる者にとっての常識の類だと思っていたのですがね。

ということで、サイトの主さんの推命は全然、古代ではないと言っておきます。少なくとも後漢以前の古代であれば、年干が本人として扱われていたわけです。