私にとっては奇妙なコメント

2013年6月10日にあげた『相変わらず『巒頭』と『理気』についての理解が怪しい人』のエントリにコメントがついたけれども、私に取っては奇妙なものだった。

家相における欠けは、欠けの方位に当たる気が建物として得られないために出る結果を言っているもので、理気の理論に基づいていますね。

こういう理屈で目に見える欠け張りの吉凶が『理気』に属するというなら、風水における巒頭の『形殺』だって、

殺気が飛んできて凶なのだから『巒頭』の吉凶ではなく『理気』だ

という言い分が通るだろう。長々とコメントしてくれているけれども、それについてはどう考えているのだろう?

アイデアと表現

イデアというものは同時多発的に多数の人間に似たようなアイデアが降りて来ることがあるので、法的にはアイデア自体が保護されることはあまりない。法的に保護されるのは、アイデアの実現方法であり、アイデアの表現だ。

例の盗作事件でも私は一貫して『椎羅さんの表現』が、中島多加仁さんによって盗用されたことを問題にしているのに、『アイデア』と『表現』の違いが理解できないのか意図的に混同しているかのような手合いはいくらでもいる。嘆かわしいことだ。

2chでちょっと見過ごせないものを見た

2chに『-紫微斗数 星読み師taka 中島多加仁-』というスレッドがある。その950のエントリに以下の文がある。

Nさんの本は今まで通り売られてるだろ
問題があれば売られてないだろうが

出版社であるアメーバブックス*1山川健一社長を交えて決定したことは、件の盗作本は初版で打ち切りだった。椎羅さんの温情で回収等は勘弁してもらえた、そういうことだ。つまり問題があるけれども、売るのが黙認されている本、それが件の盗作本だ。

正月から気分が悪い。

*1:既に会社清算

以前、田宮規雄先生が言っていたことがある

故人となられた田宮規雄先生が『これは六龍さんが言っていたことだが』と前置きした上で、『十二支は言ってみればサインのようなもので、十干は惑星のようなものと考えることができる。四柱推命の干支は、特徴のあるサインにどんな惑星が入っているかをしめしているようなものだ。』と語っていた。話のソースを提示した上での慎重な言い回しであり、田宮先生が知的には誠実であったことを伺わせる。

もっとも西洋占星術で惑星が10個になったのは1781年のハーシェルによる天王星発見以降の話であり、一方、干支は商(殷)代に亀甲獣骨に卜辞と共に日付をしめすために使用が始まっているので、10惑星と十干には3000年近い時の隔たりがある。そういう点では佐藤六龍先生もしくは田宮先生のような慎重な言い回しにならざるを得ないだろう。

ということで、こんな能天気なtweetを見るとなんか癇に障るよね。盗作の人ってこんなもんか。

地理がダメなら天文も

椎羅さんの『紫微斗数入門』を盗作した中島多加仁さんが自身のオフィシャルブログで、地理(=風水)について出鱈目を垂れ流していることについては何度か指摘してきた。

さて、今回は地理と対をなす天文について出鱈目を書いている

まだ始めのころ、中国の暦は西洋に遅れをとっていた。
それが五行を取り入れることで、精度が格段に上がったわけです。
あっというまに西洋の技術を超えました。

(魚拓 http://megalodon.jp/2013-0911-1431-04/www.nakashimatakahito.com/2013/09/%E6%9A%A6%E3%81%AB%E5%AE%BF%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E5%8A%9B/

中国で五行説が出た頃の世界は望遠鏡や高精度の時計を手にしておらず、世界の各文明での天文観測の精度はチョボチョボだったわけで、特に中国が遅れていたわけではないし、五行説と天文観測の精度の間には何の関係性もない。

七曜から日月を除いた五惑星も西洋(といってもギリシャ・ローマ)と同じくらいには見つけていた。何故そんなことが言えるかというと、五行説の起源の一つがこの五惑星なのはハッキリしているからだ。盗作する人ってこんなもんか。

相変わらず『巒頭』と『理気』についての理解が怪しい人

椎羅さんの『紫微斗数入門』を盗作した中島多加仁さんのオフィシャルブログに、またまた変な記述があったので指摘しておく。

風水と家相というエントリの中に以下の記述がある。

巒頭とは、周囲の環境のこと。
自分の家と、道路や周囲の建物、土地の起伏との関係です。

『巒頭』とはものの形状そのものを指す用語だ。『道路』という『水』や『周囲の建物、土地の起伏』といった『砂』が自分の家*1にとって吉か凶かを判断するのは『理気』の分野に所属する。『巒頭』は目に見えるものをあつかう用語で、『理気』は目に見えないものをあつかう用語だ。『水』や『砂』は目に見えるが、『水』や『砂』と家の関係から判断する吉凶は目に見えないので『理気』に所属する。

ただ『砂』が角や尖った部分を持っていて、その角や尖りが自宅を指しているとか、『水』が無情であるといったものは目に見えるので、『巒頭』の吉凶*2に所属するのは言うまでもないことだ。

ところで『家相』では家の欠け張りを言うが、これは目に見えるので『巒頭』に所属する。なので以下の記述は端的に言って間違いだ。

気学ベースの「家相」と「本格風水」。
その決定的な違いは、
「巒頭(らんとう)」を使うか使わないか。

なお日本で発達した気学家相と、中国で発達した風水のどちらが日本という環境に対して適合性が高いかという問題意識は常に持っておくべきだと思うね。

*1:陽宅の場合だが

*2:例に出したものは凶だけどね。

『砂』と『水』について何も理解していない人

椎羅さんの『紫微斗数入門』を盗作した中島多加仁さんのオフィシャルブログに、またまた見過ごせない記述があったので指摘しておく。

青竜と白虎の活用法』のエントリだが、以下のような記述がある。

この場合の「砂」は、砂そのものである必要はありません。
ようは、防壁になればなんでもいい。
実際の風水では、昨日紹介した皇居の例のように、
堀であったり、
鉄道であったり、
道路だったり、
丘だったりします。

どうも中島多加仁さんにとって『砂』と『水』の区別などは、どうでも好いことらしい。龍穴砂水の風水において『砂』は本来は丘陵であって、玄武である背山よりは低いことが要求される。小さな所では建物や樹木で代用が可能だが、『堀』、『鉄道』、『道路』等は物や人の移動に関わるもので『水』に属するものだ。

中島さんは『背山臨水』や『砂環水抱』という言葉は知っていても、『蔵風聚水』ないし『蔵風得水』とうい言葉は知らないらしい。堀や鉄道、道路では風を蔵することなどできないだろうに。今年の4月29日に『盗作の人ってこんなもんか』のエントリで、『巒頭』と『理気』の理解が間違っていることを指摘しておいたが、それから2ヶ月たっていないわけで、こんなヤッツケでいい加減な風水を他人様に講義なんてよくやるよ(呆