分水嶺公園
富士ヶ嶺公園の次に目指したのが『ひるがの分水嶺公園』だ。分水嶺というのは、水系と他の水系を隔てる領域のことで特に嶺である必要はない。ひるがの分水嶺公園の一帯は湿地だったようで*1、小川が幾つか流れている。その内の1本の川が途中で二手に分かれていて、一方は長良川につながって太平洋側の伊勢湾に注ぎ、他方は庄川につながって日本海に注ぐ。
目の前にあるのは、ほんの小川だけれど、流行く先は大きく分かれて太平洋側と日本海側になってしまう。分水嶺公園の石碑にはこうある。
実際の流れはこんな感じだ。
裏から見るとこんな感じだ。
余談だけど、水の分配に関わる神域を表す言葉に『水分』がある。本来は分水嶺とは異なる意味だけれども、水を分けると書くので分水嶺の意味で使用されることがある。分水嶺公園にも水分を分水嶺の意味で使っている俳句を刻んだ石碑があった。
水分の流れに春を聞きに希り 伊藤白雲
うちでは六壬の生徒さんが初等科を卒業する時*2は免状の替わりに短歌を贈ることにしている。以前、西洋占星術が表芸の生徒さんがそろそろ卒業かなと思ったので、東西の占術を修めたことを分水嶺にかけてこんな歌を用意した。
水分の
峰に立ちては、
東西の
時を読む技、
早、修めたり
残念だけど色々あって歌を贈ることには成らなかった。ということで卒業で歌を贈ったのは今のところ唯一人、富永祥玲さんだけだ。
明日は朝から講義ということで名古屋某所で大休止に入った。