幸徳事件
1947年まで『大逆罪』という罪が刑法で規定されていて、天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとする行為に適用された。大逆事件-Wikipediaによると、この罪に当たるとされた事件は4つある。しかし一般的には、幸徳秋水らが大逆罪で検挙・処刑された『幸徳事件』が大逆事件とよばれている。この事件は、宮下太吉の明治天皇爆殺*1計画を奇貨とした明治政府が社会主義者・共産主義者の一掃を目論んで、幸徳秋水を始めとする26名を逮捕、12名が一審で有罪*2となって処刑された。他にも恩赦で死刑から無期懲役に減刑されたものの獄死した者が5名となっている。
この事件の背景には、明治政府が抱いていた世界的に社会主義や共産主義の運動の高まりによる危機感があったとされる。要するに明治政府は一般大衆を信用していなかったということだ。そして明治政府の後継者である現日本国政府というか最高裁判所は大逆事件の再審請求に対して「大逆罪自体が無くなったんだから、もうええやん」みたいな対応を続けている。実際に明治天皇暗殺を計画し実行しようとしたのは5名だけで、他は当局によるでっち上げだったのがハッキリしているにも関わらず、だ。
この政府が、民衆を信頼できず自由の暴発を恐れて国家権力で無理やり叩き潰すということが、今から30年前に中国でも行われた。規模は圧倒的に向こうの方が上だが。隣の国の不幸な事件に哀悼の意を持つついでに、小規模とはいえ自国の似たような事件である大逆事件について考えてみてはどうだろう。